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「寄生虫なき病」の要約と批評

著者:モイセズ・ベラスケス=マノフ、赤根洋子(訳)
出版社:文藝春秋
出版日:2014年03月17日

著者の旅の始まり ― アメリカ鉤虫との出会い

本書は、著者が自ら「アメリカ鉤虫」に感染するために旅に出る場面から始まる。この寄生虫は20世紀前半までアメリカ南部で猛威をふるい、感染者は極度に衰弱した姿をしていた。

寄生虫は敵か、味方か

寄生虫をどう捉えるかについて、科学者は二つの立場に分かれる。悪としてみなす者と、宿主に恩恵をもたらしている可能性を指摘する者である。

寄生虫と免疫系の関係

寄生虫は「自己と異物の区別」という免疫の原則に反して存在するが、実は人間の免疫系自体も寄生虫との共生を前提に進化してきた可能性がある。その不在が現代病の一因とされる。

著者の挑戦と現代病の増加

重いアレルギーと自己免疫疾患を抱える著者は、自ら感染を試みる。現代の先進国ではこれらの疾患が急増している一方、アマゾンのチネマ族には症例がないことが報告されている。

失われたものが生む病

チネマ族の生活環境は寄生虫や微生物に満ちているが、彼らは健康的に暮らしている。対照的に、清潔さを追求した都市部ではアレルギー疾患が増えている。病の原因は「新しいもの」ではなく「失ったもの」にあると考えられる。

花粉症と寄生虫の意外な関係

アレルギーに関わるIgE抗体は、寄生虫が存在する環境下では問題を起こさない。つまり、本来の役割を果たす場がなくなったことが、アレルギーの増加を引き起こしている。

炎症性腸疾患(IBD)と寄生虫治療

IBDは寄生虫が減少するにつれて増加した病気の一つである。臨床試験ではブタ鞭虫を利用した治療で改善が見られたが、安全性をめぐり議論が続いている。

腸内細菌と健康の関わり

寄生虫だけでなく、腸内細菌の変化も現代病の要因とされる。食生活の変化により細菌の多様性が失われ、免疫系の制御が乱れて炎症を引き起こしている。

超個体としての人間

人間の体は一つの生態系であり、寄生虫や細菌を含む外界の刺激に依存している。「超個体」としての人間が、微生物との共生を失うことで崩壊の危機にある。

生物多様性と人類の未来

失ったものを取り戻し、多様な生態系と調和することこそが人類の健康を守る道である。人体内部と地球の生態系は切り離せず、双方の繁栄を目指す必要がある。

批評

良い点

本書の最大の強みは、寄生虫や腸内細菌といった「不快」とも思える存在を、免疫学や生態系の視点から再評価する点にある。従来の常識を覆す大胆な着想――寄生虫は単なる病原体ではなく、むしろ我々の体が正常に機能するための不可欠な存在であった可能性――を、科学的知見とフィールドワークを交えて説得的に提示している。特にアマゾンのチネマ族の生活様式と、現代の清潔志向社会を対比する描写は鮮烈であり、読者に強い印象を与える。また、IBD治療における寄生虫利用の臨床試験など、理論を実証に結びつける試みが紹介されることで、単なる仮説の提示にとどまらず、現代医療の新たな地平を示す点も評価できる。

悪い点

一方で、本書にはいくつかの問題点も見受けられる。まず、寄生虫感染のリスクや倫理的側面についての記述がやや軽視されている点だ。著者自身が人体実験的に感染を試みる姿勢はスリリングではあるが、その行為が持つ危険性や科学的慎重さを欠いた側面も同時に浮き彫りにしている。また、チネマ族の生活を理想化するあまり、感染症による乳幼児死亡率の高さなど負の要素が相対的に軽く扱われているのもバランスを欠く。寄生虫や微生物を「失われた楽園」の象徴のように語る傾向は、科学的議論を社会的・文化的文脈から切り離してしまう危険性がある。

教訓

本書から得られる最大の教訓は、人間の健康を「個体」のみに閉じた視点では理解できないという点である。人間は外界から隔絶された存在ではなく、無数の微生物や寄生虫との共生によって成り立つ「超個体」なのだという認識は、現代医学に対して新たなパラダイムを提示している。また、「失ったものが病の原因である」という逆説的な視点は、進歩と清潔を絶対的な価値とみなす近代的思考への鋭い批判ともなる。過度な衛生志向や食生活の均質化がもたらす弊害を直視し、免疫系に必要な「適度な刺激」と「生態系との調和」を再考することは、現代人にとって重要な課題である。

結論

総じて本書は、寄生虫や腸内細菌をめぐる最新の研究を通じて、人間存在の根本を問い直す挑発的な書物である。議論の中には極端さやバランスを欠く部分もあるが、それがむしろ読者に考える契機を与えている。著者の体当たり的な姿勢は賛否を呼ぶだろうが、「健康とは何か」「人間と自然の関係はいかにあるべきか」という根源的な問いを改めて浮かび上がらせた意義は大きい。結局のところ、本書が投げかけるメッセージは単純だ――我々は自然から切り離された存在ではなく、生態系の一部としてのみ健康を享受できるのである。現代医療の行き詰まりを打破するためのヒントは、失われた「不潔さ」の中に潜んでいるのかもしれない。