著者:堀江貴文
出版社:幻冬舎
出版日:2015年01月13日
世間のイメージと実際の堀江貴文
世間では堀江貴文は「欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる強引で強欲な人間」と思われがちだが、実際には強い執着はなく、「水が低きに流れるように自然に身を任せる」という信条で生きてきた。
起業までの経緯
地元・九州から上京し東大に入学するも、ギャンブル漬けの毎日を送っていた堀江は、パソコンやプログラミングのアルバイトに熱中。インターネット黎明期の追い風を受け、仕事が急増していった。やがて上司の交代をきっかけに、自ら会社を立ち上げる決意を固める。
オン・ザ・エッヂの設立と急成長
1996年に設立したオン・ザ・エッヂは仕事の依頼が殺到し、わずか数年で社員数やオフィス規模が拡大。堀江は寝泊まりするほど働き続けた。サイバーエージェントの上場に刺激され、自身も上場を意識し始める。
上場を巡る仲間との対立
上場に反対する古参社員が次々と辞める中、堀江は「経営の安定化と事業拡大のために必要」と考え、2000年にマザーズ上場を果たす。しかし初値は公募価格を下回り、経営は赤字、さらに借金を抱える苦境に陥った。
世界一の会社を目指して
落ち込みを振り切り、「世界一大きな会社にする」と決意。方針は「海外進出によるネットビジネス展開」と「M&Aによる事業拡大」。その結果、2002年には無料プロバイダーのライブドアを買収し、社名も変更。知名度と事業基盤を一気に拡大した。
プロ野球参入での知名度急上昇
近鉄バファローズ買収や新球団設立を表明し、結果的に参入は楽天に奪われたが、ライブドアの知名度は爆発的に向上。宣伝効果は100億円以上とも言われ、株価も急上昇した。
ニッポン放送買収騒動
次の勝負はニッポン放送のTOB。フジテレビ支配を狙ったが、マスコミからの猛烈な批判にさらされる。最終的にフジが株を買い取り和解に至るが、業務提携の面では失敗だったといえる。
フジテレビ騒動以降の堀江の思考
以降の強烈な逆風とバッシングの中で「嫌われても気にしない」という考えを確立。無意味な努力よりも目の前の課題に集中する姿勢を取るようになった。
闘い続ける堀江
堀江が闘ってきたのは、根拠のない常識や慣習であり、その姿勢ゆえに批判や刑務所行きも経験した。それでも、限られた人生で幸福を追求するために、納得できないものには闘い続ける覚悟を持っている。
批評
良い点
本書の最も優れている点は、世間で抱かれがちな「強欲でゴリ押しの堀江貴文」という人物像を裏返し、むしろ「水の流れに身を任せるように生きてきた」という姿勢を丁寧に描いているところにある。特に、上京後に自然とプログラミングにのめり込み、バイトを通じて会社設立へ至った経緯は、意志というよりも時代と環境に押し流されるような必然性を強調しており、彼の行動原理に新たな解釈を与えている。また、インターネット黎明期の空気感や、仲間との起業から急拡大までの躍動的な描写は、読者に時代のエネルギーと堀江の行動力をリアルに伝える。単なるビジネス書にとどまらず、一人の人間が社会的イメージと異なる実像を持つことを示しており、そのギャップが新鮮である。
悪い点
一方で、本書の弱点は、叙述がやや事実の羅列に終始している部分である。たしかにライブドアの急成長や球団買収騒動、ニッポン放送買収劇といった出来事は派手で目を引くが、それらが彼の思想や価値観にどう具体的に結びついているのかが十分に掘り下げられていない。例えば、「水の流れに従う」という信条と、M&Aを積極的に仕掛ける経営戦略の間には一見矛盾があり、その矛盾をどう解釈すべきかについての筆致が浅い。また、刑務所に至るまでの社会的バッシングや法制度との衝突についても、やや彼自身の視点に偏っていて、多角的な検証に欠ける点は惜しい。読者によっては「自己正当化の物語」と映る危うさもある。
教訓
本書から得られる教訓は大きく二つに集約できる。第一に、「人生の選択は必ずしも強い意志や緻密な計画から生まれるものではない」という点だ。むしろその時代の風や環境、偶然の出会いに素直に従ったことが、大きな結果をもたらすこともある。第二に、「挑戦には常に逆風が伴う」という現実である。堀江がプロ野球界やテレビ業界に挑んだ際、既得権益層の反発を受け、マスコミから一転して悪役扱いされた過程は、新しいものを創ろうとする者が必然的に直面する壁を象徴している。ここから導き出せるのは、環境や世間の評価に囚われず、自分が納得できる方向に突き進むことの重要性である。そこには「常識や慣習に抗うことは孤独を伴うが、それこそが革新の源泉」という含意がある。
結論
総じて本書は、堀江貴文という人物を単なる「拝金主義者」や「時代の寵児」として切り捨てるのではなく、その背後にある自然体の生き方と、逆境を糧にした強靭な精神を描き出す試みとして意義深い。ただし、叙述が彼の主観に寄りすぎており、社会的評価とのズレを客観的に検証する姿勢が弱い点は、批評的読者にとって物足りないだろう。とはいえ、彼の軌跡をたどることは、現代社会において「自由に生きる」とは何か、「闘う」とは何を意味するのかを考えさせる契機となる。強烈な光と影を抱えながらも、なお挑戦を続ける彼の姿は、読み手に「自分もまた水の流れに身を任せつつ、逆風の中で信じるものに挑み続けられるか」という問いを突きつける。本書は単なる企業史でも人物伝でもなく、挑戦と抵抗の物語として、読む者に深い余韻を残すのである。