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「予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」」の要約と批評

著者:ダン・アリエリー、熊谷淳子(訳)
出版社:早川書房
出版日:2013年08月22日

世界を「ちがったふうに見る」ことから始まった旅

私はどうやら、人とは少し違う視点で世界を見ているらしい。本書を通じての私の目標は、自分や周囲の人々を動かしている根本的な力を見つめなおす手助けをすることだ。

人生を変えた事故と病院での経験

18歳の金曜日の午後、突然の事故で人生は大きく変わった。マグネシウム光が炸裂し、全身の70%に三度のやけどを負ったのだ。その後3年間、包帯に包まれ病院で過ごすことになった。
この間、さまざまな痛みを経験し、社会から切り離された感覚を味わった。そのため、以前は当然だった日常の行動を、まるで外から観察するようになった。

科学との出会いと研究への道

退院後、テルアビブ大学に進学し、大脳生理学の授業に出会ったことで研究への考え方が一変した。仮説が間違っていたとしても、それを実験で確かめられることに強く惹かれたのだ。
科学は「人間の行動を探る手段」を与えてくれ、私はその道に夢中になった。

痛みの研究から見えた「不合理性」

私は、やけど治療における苦痛の少ない処置法を提案した。しかし、看護師が採用することは少なかった。理由は、患者の絶叫に直面する時間が長くなるからだ。
ここで気づいた。「経験豊富な人でも現実を誤解するのなら、他の人も同じように行動の結果を誤解し、誤った判断を繰り返すのではないか」と。

行動経済学の目的

経済学は「人は合理的である」という前提に立つが、実際の私たちは合理的とは程遠い。しかも、不合理性は予測可能なパターンをもって繰り返される。
この気づきから「行動経済学」という新しい学問が生まれた。本書は、私と仲間が行った実験をもとに、人間の不合理性を明らかにし、生活や仕事への影響を探る試みである。

「無料!」という魔力

例として、チョコレートを使った実験がある。

  • 条件1:トリュフ15セント、キスチョコ1セント → 多くの人がトリュフを選んだ
  • 条件2:トリュフ14セント、キスチョコ無料 → 多くの人がキスチョコを選んだ

相対的な価格差は変わらないのに、「無料!」という要素が人々の判断を大きく変えた。

アマゾンの送料無料サービスや、カロリーゼロ表示の商品も同じ効果を示している。「ゼロ」は単なる値引きではなく、別格の力を持つ価格なのだ。

先延ばしの心理と実験

私たちは「貯金しよう」「ダイエットしよう」と誓っても、目先の誘惑に負けてしまう。これは典型的な先延ばしだ。
私は大学の授業で次の実験を行った。3つのレポート提出課題を出し、クラスごとに締め切りを変えた結果、自由に決められるクラスより、あらかじめ決められた締め切りがあるクラスの方が成績が良かった

最大の発見は、学生が自分の先延ばし癖を理解しており、事前に「決意表明」する機会を与えられると行動が改善することだった。

自制を助ける仕組み

私たちは自制心の問題を抱えているが、それを補う仕組みを作ることができる。

  • 貯金できないなら、自動積立制度を利用する
  • 運動できないなら、友人と約束をする

このように「事前の決意表明」を仕組みに組み込むことで、理想の自分に近づけるのだ。

批評

良い点

本書の最大の強みは、著者自身の壮絶な体験を起点として、学問的探求と社会的意義を結びつけている点にある。全身の大火傷という極限的な経験から「痛み」という人間の根源的問題に取り組み、それが行動経済学の探究へと発展していく流れは説得力がある。また、抽象的な理論を提示するだけでなく、実際の実験(チョコレートの価格設定やレポートの締め切りなど)を用いて具体的に説明しているため、読者にとって理解しやすく、同時に「自分の行動もそうかもしれない」という共感を喚起する。とりわけ「無料!」の心理的インパクトをアマゾンの事例で示したくだりは、単なる学術的知見を超えて、日常生活やビジネスに応用可能な洞察を提供している点で評価できる。

悪い点

一方で、文章全体がやや冗長であることは否めない。著者の実体験から行動経済学の実験紹介へと移る構成は魅力的だが、同じ趣旨の説明が繰り返され、焦点が散漫になる箇所がある。また、「無料!」や「先延ばし」といったテーマは確かに興味深いが、強調が過剰で、やや説教臭さを帯びる部分もある。さらに、個人の体験談から理論への接続が自然である反面、感情的叙述と科学的記述のトーンの差が大きく、読者によっては違和感を覚えるかもしれない。つまり、ドラマチックな導入がかえって後半の実証実験の冷静さと乖離し、統一感に欠ける印象を与える点が弱点といえる。

教訓

本書が示す教訓は、人間の意思決定は「合理的」であるどころか、むしろ「一貫した不合理性」に支配されているということである。その不合理性は偶発的ではなく、パターンを持って繰り返されるため、科学的に分析し、対策を講じることが可能だという視点は重要である。また、自己制御の問題は個人の弱さとして片づけるのではなく、制度や仕組みとして支援できるという発想も含蓄が深い。例えば、締め切りを自ら設定することや、自動的に積み立てが行われる仕組みなど、環境設計によって不合理な行動を減じる可能性が提示されている。これは、教育や経済政策、さらには日常的な行動改善にまで応用できる普遍的な教えである。

結論

総じて本書は、行動経済学という比較的新しい学問分野を、個人的体験と身近な例を織り交ぜながら一般読者に紹介する試みとして意義深い。読み手は「自分は合理的だ」という幻想を揺さぶられ、同時に「不合理性には秩序がある」という逆説的な視点を得ることになる。その結果、単に学問的知識を得るにとどまらず、自分の行動を見直し、生活の改善に役立てる契機を得られるだろう。ただし、冗長さや過剰な強調が削ぎ落とされれば、さらに引き締まった読み応えのある文章になったに違いない。とはいえ、著者の体験を背景にしたこの語り口は、読者を知的冒険へと誘う力を十分に備えており、人間理解の新たな地平を拓く批評的書物として高く評価できる。