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「会社のデスノート トヨタ、JAL、ヨーカ堂が、なぜ?」の要約と批評

著者:鈴木貴博
出版社:朝日新聞出版
出版日:2009年11月06日

トヨタを直撃したサブプライムショック

リーマン・ブラザーズの破綻に象徴されるサブプライムショックが起こり、実業の世界をも恐慌が襲った。それまで日本企業で最も優良とされたトヨタ自動車も大きな打撃を受けた。

トヨタの売上減少額は5.8兆円、営業利益の減少額は2.7兆円に達した。自動車業界全体が販売不振に陥ったが、その中でもトヨタの落ち込みは際立っていた。

北米市場の崩壊と短期所得弾力性

最大の要因は北米での自動車販売数の急減だ。市場全体もトヨタも前年比30%超の減少率に落ち込み、売上が3分の1減るという異常事態となった。

この現象は経済学の「短期所得弾力性」で説明できる。所得が1%減ると消費がどれだけ減るかを示す数字であり、自動車の場合は5.5。つまり所得が6%減れば、需要は約33%減少する。実際の市場の落ち込みとぴたり一致していた。

長期所得弾力性と需要回復の見通し

しかし時間が経つと人々は新しい収入水準に慣れる。これを示すのが「長期所得弾力性」だ。自動車の長期所得弾力性は1.1であり、短期的には買い控えられても、いずれ買い替え需要が生まれる。

著者は、この仕組みから北米自動車市場が急回復すると予測している。

価格弾力性と小売業のジレンマ

価格を下げれば売上が増えるのか、それとも逆効果か――これは経営上の重要な問いだ。

価格を下げても販売数が大きく伸びない場合、「価格弾力性は1未満」とされる。大手量販店の値下げ競争では売上増加につながらず、多くの企業が苦境に陥った。

一方で、セブン‐イレブンは「便利さ」という付加価値を提供することで価格を上げ、市場を拡大することに成功した。この現象は「セブン‐イレブン・エフェクト」と呼ばれる。

サービス業における価格戦略と生産性

映画、旅行、塾などのサービス業は長期価格弾力性が大きく、価格次第で需要が大きく変動する。そのため生き残りにはコスト削減が不可欠であり、生産性向上が課題となる。

また、新規顧客の獲得は既存顧客の維持に比べて5倍のコストがかかるため、顧客を固定化する戦略が重要である。

日本経済の成長と重サービス業の可能性

日本が成長を続けるにはサービス業の発展が不可欠だ。特に、ノウハウや資本が必要な「重サービス業」への転換が提唱されている。

セコムの遠隔警備システムや鉄道運行管理などは重サービス業の例であり、日本経済の新たな成長分野となる可能性を秘めている。

企業の役割と政府の課題

経済成長をめぐっては「規制撤廃による自由化」と「政府による支援」という対立する学説がある。著者は、日本の財政赤字を踏まえ、企業が中心となって経済を押し上げるべきだと主張する。

消費が経済を動かす

最後に重要なのは「豊かな者が積極的にお金を使うこと」だ。支出を控える人が増えれば経済は停滞する。欲望を解放し、消費を再開することが経済成長の原動力になると筆者は結んでいる。

批評

良い点

本書の最大の魅力は、リーマンショックという歴史的事実を出発点に、経済理論を具体的に検証している点にある。特に「短期所得弾力性」「長期所得弾力性」といった経済学的概念を、トヨタの北米市場での販売不振やその後の回復と照らし合わせる手法は説得力に富んでいる。さらに、「価格弾力性」をめぐる議論を、GMSの値下げ競争やセブン‐イレブンの付加価値戦略と結びつけて提示することで、理論と実務の架橋を実現している点も評価できる。経済学は抽象的に語られることが多いが、本書は事例とデータをもとに解説しており、読者が腑に落ちやすい。特に「セブン‐イレブン・エフェクト」という言葉の提示は、価格戦略における付加価値の重要性を象徴的に表現しており、印象に残る。

悪い点

一方で、本書の弱点は理論と事例を結びつける力強さゆえに、結論の方向性がやや単線的に見えてしまう点にある。例えば、セブン‐イレブンの成功を「高付加価値=高価格が市場を広げる」という一般則として提示しているが、コンビニ業界特有のインフラや立地条件、社会的背景を十分に考慮していないため、他業種に安易に適用するには危うさがある。また、「政府の役割は限定的で企業が中心になるべきだ」という立場も示されるが、財政出動や規制緩和など政策的要因との相互作用についてはやや軽視されている印象を受ける。さらに、「欲望を解放してお金を使う人が経済を元気にする」という終盤の議論は情緒的であり、慎重な分析に裏づけられた部分と比べると説得力に欠ける。

教訓

本書から導かれる最大の教訓は、経営においてマクロ経済学的な視座を持つことの重要性である。企業経営者は自社の財務データや商品開発にのみ注目するのではなく、所得弾力性や価格弾力性といった経済学的指標を理解し、市場全体の変動を先読みする必要がある。また、単なる価格競争ではなく、付加価値を通じて市場を拡大する戦略が生き残りの鍵となることも示されている。加えて、サービス業における「生産性向上」と「重サービス業」への転換は、日本経済の未来にとって実践的な指針となりうる。つまり、本書は「経済学を知識として学ぶ」のではなく、「経営判断の道具として使う」ことの大切さを教えている。

結論

総じて、本書はリーマンショック後の世界経済の混乱を背景に、企業経営とマクロ経済学の密接な関係をわかりやすく示した良書である。実証的な数値と身近な事例を駆使しながら、理論を現実に結びつけて語る筆致は、経営者やビジネスパーソンに強い示唆を与える。一方で、理論の一般化や政策的視点の不足といった弱点はあるものの、それを補って余りある実践的知見が詰まっている。結論として、この本は「経済学を現場で使う力」を養いたい読者にとって格好の指南書であり、日本経済の進むべき方向を考える上でも有益な一冊であるといえる。