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「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」の要約と批評

著者:ダニエル・カーネマン、村井章子(訳)
出版社:早川書房
出版日:2014年06月20日

二つの思考モード

心理学で広く使われている名称に従い、努力せず自動的に働く「速い思考」をシステム1、複雑な計算や知的活動を必要とする「遅い思考」をシステム2と呼ぶ。
システム1は「物体の遠近を見分ける」「音の方向を感知する」など直感的な処理を行う。一方、システム2は「スタート合図に備える」「雑音の中で特定の声を聞き分ける」など、集中を要する処理を担う。

両者は常に働いているが、システム2はシステム1が処理できない問題に直面したときにのみ動員される。

システム1は押しのけづらい

システム1の直感的判断は多くの場合適切だが、単純化しすぎる傾向(ヒューリスティクス)があり、論理や統計には弱い。しかも停止できない。
システム2の判断は緻密だが遅く、効率も悪いため、常にシステム1を監視して肩代わりするのは難しい。

またシステム2は怠け者でもあり、システム1の提案を厳しく精査しないことが多い。その典型例が「バットとボール」の問題であり、多くの人が直感的に誤答をしてしまう。これは、システム1の直感を退けるのがいかに困難かを示している。

プライミング効果――私たちを誘導する先行刺激

システム1は、ある言葉や刺激が別の連想を活性化する仕組みを持つ。たとえば「バナナ」と「げろ」という単語を結びつけ、嘔吐を想起するような因果関係を作ってしまう。

さらに、プライミング効果として知られる現象では、関連語の想起や行動までもが影響を受ける。ジョン・バルフの実験では、高齢者関連の単語を扱った被験者が実際に歩く速度まで遅くなった。

こうした効果は「自分が自律的に選択している」という自己像を揺るがす。学校補助金の投票やオフィスでの実験例のように、周囲の環境が無意識に判断や行動を左右している。

ハロー効果――結論に飛びつくマシン

システム1は断片的な情報から因果関係を作り、システム2に提案する。だがシステム2は怠けているため、多くの場合そのまま受け入れてしまう。
その結果、一部の印象が全体評価に影響する「ハロー効果」が生じる。大統領の政治手法を好ましく思えば声や姿まで好ましく感じる、というように。

ハロー効果は人物評価の順序や試験採点にも影響する。これを避ける工夫として、会議前に意見をまとめて提出させれば、強い主張に場が引きずられるのを防ぎ、議論を活性化できる。

統計的思考の難しさ

システム1は連想や因果関係を得意とする一方で、多くの要素を同時に扱う統計的思考は苦手である。システム2が働けば可能だが、怠け者ゆえに頼りきるのは難しい。

たとえば、赤ちゃんの性別の並び順を問う問題では、直感的に「もっともらしい順序」を高く見積もってしまう。しかし実際はどの順序も等しく起こりうる。
私たちはランダムな事象に規則性を見出し、偶然を無視しがちである。

後知恵バイアス――「私はずっと知っていた」

システム1の働きによって、私たちは世界を単純で一貫性のあるものとして捉え、予想外の出来事にもすぐ適応する。しかし、新しい世界観を採用すると、過去の意見を思い出せなくなってしまう。

死刑制度やニクソン外交に関する実験では、人々が自分の過去の判断を都合よく修正して記憶してしまうことが示された。これは「私はずっと知っていた」効果、つまり後知恵バイアスである。

後知恵バイアスは医師や政治家など意思決定者への不当な非難を招き、リスク回避を助長する一方で、無責任なリスク追求者を評価するという逆効果ももたらす。

批評

良い点

本書の最大の長所は、システム1とシステム2という二分法を通じて、私たちの日常的な意思決定や思考のクセを鮮明に描き出している点にある。直感的な誤りや認知バイアスを、単なる抽象的な概念ではなく、具体的な実験や身近な例で示しているため、読者は自分自身の経験と照らし合わせて納得しやすい。バットとボールの問題やプライミング効果の実験などは、読者に「ああ、自分もその罠に陥っている」と実感させ、知識を「自分事」として取り込ませる工夫がなされている。また、政治判断や会議運営など、学術的な枠を超えて社会的な実践にも結びつけている点は、本書を単なる心理学の解説書ではなく、思考のリテラシーを高めるための指南書にしている。

悪い点

一方で欠点として、本書は内容が膨大で、各種の効果や実験を次々と紹介するため、読者が全体像を把握しづらくなる危うさがある。システム1とシステム2という枠組み自体は明快だが、その後に続く事例や効果の数々が整理不足に感じられることもあり、「結局どのように行動を変えるべきか」という実践的な道筋がやや曖昧になっている。また、システム1は直感的でシステム2は論理的という二元論に過ぎず、実際の人間の思考の複雑さをやや単純化しすぎているとの批判も免れないだろう。さらに、研究の中には再現性に疑義が呈されているものもあり、科学的信頼性という面での留保を考慮する必要がある。

教訓

本書から得られる最も大きな教訓は、私たちの多くの判断は「自分が考えて決めている」という感覚とは裏腹に、無意識の自動化されたシステム1によって大きく左右されているという事実である。つまり、人は合理的存在ではなく、環境や文脈によって容易に誘導される存在なのだ。だからこそ、重要な意思決定の場面ではシステム2を意識的に呼び起こし、直感をそのまま信じるのではなく、一度立ち止まって検証する態度が求められる。また、ハロー効果や後知恵バイアスに代表されるように、私たちは一貫性を好みすぎるあまり現実を単純化して捉えてしまう。こうした傾向を知っておくこと自体が、自分や他者の判断を過信しないための予防策となる。

結論

総じて本書は、人間の思考の不完全さを豊富な実証データとともに明らかにし、批判的思考の重要性を説く優れた書物である。直感の有用性と危険性を両面から描き出し、論理的思考を補う必要性を強調する点は、ビジネスや政治だけでなく、日常生活のあらゆる場面に応用可能だ。ただし、内容の多さや二分法的枠組みの単純化には注意が必要であり、読者は批判的に読み進める姿勢を保たなければならない。結局のところ、本書が示す教えは単純である――「人は思うほど合理的ではない」。その前提を受け入れたうえで、直感に流されすぎず、必要に応じて立ち止まって考えることこそが、より良い判断に至るための第一歩なのである。