著者:松岡真宏
出版社:草思社
出版日:2014年11月25日
本書の目的
本書は「時間価値」に注目し、企業行動や消費者行動の変化を理解しながら、人間の未来像を描く試みである。小学校や中学校で図形問題を解く際、補助線によって本質が見えた経験があるように、本書では「時間価値」という補助線を用いて現代社会を読み解いていく。
行動パターンを変える要因
「時間価値」という考え方によって、人々の行動が変化している。その要因は次の2点である。
- 情報通信端末の進化
スマートフォンやSNSの普及により、通勤中や待ち時間などのこま切れの時間を有効活用できるようになった。これにより、空間そのものが仮想空間に溶け込むように変容している。 - 高齢化と都市化の進展
日本の平均年齢は上昇し続け、時間の希少性は高まっている。加えて都市部への人口集中はサービス提供の速度と生産性を押し上げている。
こうして現代は「時間資本主義」の時代へ突入した。
歴史的に克服してきた制約
人類は自然的制約を農耕や道具によって克服し、社会的制約を啓蒙思想や市民革命によって乗り越えてきた。交通や印刷技術の発達で空間や情報の制約も解消された。
しかし、「時間」という制約は依然として存在し、寿命や1日の長さには限界がある。ゆえに人間は「時間価値」を強く意識せざるを得ない。
スマホがもたらした時間の細分化
総務省の調査によれば、インターネット利用だけが増加傾向にあり、特にスマホ利用の拡大が顕著である。スマホの登場により、人々は「すきま時間」を有効活用できるようになった。従来は無価値とされていた短時間も、学習や指示出しなどに活かせるようになり、「かたまり時間」と「すきま時間」の価値観が大きく変わっている。
時間資本主義における価値の2側面
「時間資本主義」では、物やサービスを選ぶ際に「時間価値」が重視される。その価値は次の2つに分けられる。
- 節約時間価値:利用によって時間が短縮される価値。
- 創造時間価値:利用によって有意義な時間が創出される価値。
例えば時短グッズやニュースアプリは節約時間価値を、スターバックスのような環境は創造時間価値を提供する。両者を兼ね備えたレジャー施設や旅館は「ここに行けば間違いない」という安心を与える。
情報処理と「時間効率化」サービス
出版やニュースの情報量が増える中で、要約サービスやニュースキュレーションは「節約時間価値」を提供する。現時点では完全に最適化されていないが、今後はテクノロジーや人力で精度が高まっていくと考えられる。
テッパン型サービスの重要性
ビジネスパーソンにとって、休暇に失敗は許されない。そのため評判や推薦に裏付けられた「テッパン型サービス」が選ばれる。東京ディズニーリゾートや伊勢神宮のような事例は、安定した「創造時間価値」と最大限の「節約時間価値」を提供し、超過利潤を可能にする。
「ユニクロ化」と「伊勢丹化」
消費行動には2つの方向性が見える。
- ユニクロ化:短時間で無難な商品を得られる効率型。
- 伊勢丹化:時間をかけて自分に合った一品を選ぶ快適型。
効率化の領域では勝者が一人勝ちしやすく、快適化では多様な勝者が生まれる可能性がある。企業は資金力や事業規模に応じて、効率化と快適化のどちらを目指すかを考える必要がある。
職業人のマッピング
収入と時間を軸にすると、現代の職業人は以下の4層に分けられる。
- 高収入・時間なし:伝統的エリート層(コンサル、官僚など)。努力家だが時間資本主義には不利。
- 低収入・時間なし:戦後日本を支えたまじめな労働層。幸福度維持が政治安定に重要。
- 高収入・時間あり:クリエイティブ・クラス。ベンチャー創業者や一部社員が該当。時間資本主義の勝ち組。
- 低収入・時間あり:フリーターやブロガーなど。楽しく暮らし、時間を活かせる意味で勝ち組とも言える。
従来の「忙しく働く高収入層=勝者」という構図は崩れ、これからは「時間に余裕のある人」が勝者となっていく。
批評
良い点
本書の最大の強みは、「時間価値」という概念を補助線として用いることで、現代社会の消費行動や企業行動の変化を鮮やかに解き明かしている点にある。スマートフォンの普及により「すきま時間」が新たな生産的価値を持つようになったという分析や、高齢化・都市化が時間の稀少性を高めているという指摘は、現実社会の肌感覚と一致しており説得力がある。また、「節約時間価値」と「創造時間価値」という二分法は、複雑な消費現象を整理するための明快なフレームワークであり、具体例としてスターバックスやユニクロ、ディズニーリゾートを挙げることで、読者の理解を直感的に促している。このように抽象的概念と生活実感を結びつける筆致が、本書の知的魅力を高めている。
悪い点
一方で、本書は「時間資本主義」の意義を強調するあまり、議論がやや一面的になっている点は否めない。例えば、スマホによる時間の有効活用が強調される一方で、注意力の分散や精神的疲労といった負の側面には十分な考察が割かれていない。また、消費者行動に関する分析は説得力があるものの、企業戦略への言及が一般論にとどまり、経営者や政策決定者にとっての具体的示唆に欠ける印象を受ける。さらに、「ユニクロ化」と「伊勢丹化」という二分法も鮮やかではあるが、中間的なスタイルやハイブリッド型の存在を無視することで、現実社会の多様性を単純化しすぎているように思われる。
教訓
本書から得られる最大の教訓は、「時間は依然として克服不可能な制約であり、その有限性をいかに扱うかが個人や企業の成否を分ける」という点である。狩猟から農耕へ、封建制から市民社会へと制約を克服してきた人類が、今なお逃れられない最後の制約として「時間」に直面しているという歴史的視座は、読者に深い思索を促す。個人にとっては、時間の使い方が人生の質を決定することを再認識させ、企業にとっては、商品やサービスがどのように「時間価値」を生み出せるかが競争優位の鍵であると理解させる。つまり、本書は「時間資本主義」を単なる流行語ではなく、生活や経済の根本を再考させる概念として提示している。
結論
総じて本書は、現代社会の行動様式を読み解くうえで有効な「時間価値」というレンズを提供する意欲的な試みであり、読者に新しい視点を授けることに成功している。しかしその射程は主に都市生活者やビジネスパーソンに限定され、時間をめぐる文化的・社会的差異への配慮がやや薄い点も課題として残る。それでもなお、「時間資本主義の時代」における勝者の条件を示す議論は、現代を生きる我々にとって刺激的であり、今後の消費や働き方を考える上で示唆に富む。つまり本書は、「時間」を経済と生活の中心軸に据えることで、個人の生き方や企業戦略を問い直す格好の批評的素材を提供する書物である。