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「1000人の患者を看取った医師が実践している傾聴力」の要約と批評

著者:大津秀一
出版社:大和書房
出版日:2013年07月18日

「聞く」と「聴く」の違い

「聞く」と「聴く」には明確な違いがあります。
「聞」の字は、門の外で耳を当てて中の様子をうかがう姿を表しています。一方「聴」の本来の字は「聽」で、「耳を王様のように立て、脳と心を働かせて心の声までも聴く」という意味を持ちます。つまり、「聞く」は表面的に耳で受け取ること、「聴く」は心の奥深くまで受け止めることを意味するのです。本書で扱うのは、この「聴く」力です。

現代社会に求められる「聴く」力

著者の祖母が営む漢方薬局は、多くの薬局が苦境にある中で根強い人気を保っています。その理由は、的確な薬の調合に加え、来店者の悩みや不安を丁寧に「聴く」姿勢にあります。人々は薬だけでなく、話を聴いてもらうこと自体に癒やされているのです。
このように、病を癒やすのは薬だけでなく、心に寄り添う「傾聴」による効果も大きいと考えられています。

医療現場でも注目される「傾聴」

現代医療では、患者の苦しみを和らげるうえで「聴く」ことの重要性が認められています。人の苦しみは次の4つに分類されます。

  1. 身体的な苦しみ(痛み、不眠、めまいなど)
  2. 精神的な苦しみ(不安、孤独、うつ状態など)
  3. 社会的な苦しみ(経済的困難、人間関係の悩みなど)
  4. スピリチュアルペイン(存在の意味や目的の揺らぎ)

これらは複雑に絡み合うことが多く、支援者が整理して分析することで苦痛の軽減につながります。

スピリチュアルペインとは何か

特に重要なのが「スピリチュアルペイン」です。これは宗教に限らず、「生きる意味」「存在意義」と深く関わる苦しみです。たとえば事故による障害や終末期の衰弱は、人に「私はなぜ生きているのか」という存在の揺らぎを生じさせます。

スピリチュアルペインは「時間存在」「関係存在」「自律存在」という3つの柱から成り立ちます。終末期にはこれらが揺らぎやすいため、支援者は「関係」と「自律」を支え、時間的存在の揺らぎを和らげることが求められます。

「意味」を見出すのは本人自身

苦悩する人に「あなたの生きる意味はこれです」と答えるのは無意味です。重要なのは、その人自身が意味を見出すことです。支援者は傾聴を通じて、本人が人生の新しい物語を再構成できるように導く役割を担います。そのためには信頼関係の構築が不可欠であり、日常の何気ない会話を受け止めることから始まります。

傾聴と沈黙の力

傾聴を続けると、「生きる意味はあるのでしょうか」といった答えにくい質問を受けることがあります。安易に一般論で返すのではなく、沈黙を守ることが大切です。沈黙は相手の気持ちを理解している証であり、相手が自ら答えを見出す時間を与えます。この沈黙こそが「傾聴」そのものなのです。

傾聴に必要な技術と態度

効果的な傾聴のためには、心だけでなく技術も必要です。

  • 非言語的なメッセージに注意する
    声のトーン、表情、態度などが大きな影響を与えるため、穏やかな声と表情で接することが大切です。
  • 環境を整える
    静かな個室、座る位置などが会話を支援します。
  • 共感と支持を示す
    相手の思考や感情を認めることで「理解してもらえた」と感じさせます。
  • 質問の仕方
    「はい・いいえ」で答えられる質問よりも、自由に語れる「開かれた質問」が有効です。
  • 要約と明確化の工夫
    相手の話を整理する際には、意図を歪めないよう細心の注意が必要です。
  • 肯定的な言葉を活用する
    「すごい」「さすがですね」などの3SやSOSの言葉は、相手を尊重するメッセージになります。

まとめ

「聞く」から一歩進んで「聴く」ことで、人は深く癒され、支えられます。とりわけスピリチュアルペインを抱える人にとって、傾聴は生きる意味を再構成するための大切なプロセスです。技術と心を合わせ持つことで、傾聴はより力強い支援となるのです。

良い点

本書の最大の長所は、「聞く」と「聴く」という言葉の由来の違いを起点にして、単なる知識や技術論にとどまらず、人間の存在の根源にまで深く切り込んでいる点である。特に「スピリチュアルペイン」という概念を中心に据え、身体や精神のみならず、社会的・存在的な痛みを包括的に捉える視点は、医療や福祉のみならず、人間関係全般に広く応用可能である。そのうえで、「傾聴」の効力を薬局や終末期医療の具体例で示し、実生活の場面に直結させていることが読者にとって理解しやすく、また実践に結びつけやすい。沈黙を「答え」そのものとする逆説的な強調や、「和顔愛語」や「開かれた質問」といった具体的技術の提示も、読者に即効性のある示唆を与えている点で優れている。

悪い点

一方で、本書の弱点としては、理論と実践の間にやや乖離が残っている部分が挙げられる。著者は「傾聴」の重要性を強調するが、その実際的な習得プロセスや、失敗事例に対する具体的なフォローが不足している。たとえば「要約は諸刃の剣」と述べながら、その失敗がどのように相手を傷つけうるのかについては抽象的であり、現場で直面する細かな葛藤への踏み込みが浅い印象を受ける。また「男性は狭い部屋、女性は広い部屋を避けるべき」といった環境設定の記述は一般化が強く、読者に違和感を与える可能性もある。さらに、全体的にスピリチュアルペインの解釈に多くの紙幅を割いているため、ビジネスや教育など医療以外の文脈でどう生かせるかという横展開が不足しているのも惜しい点である。

教訓

本書から導かれる教訓は、人間を理解するとは単に「耳で聞く」ことではなく、「心で聴く」ことに尽きる、ということである。特に苦悩を抱える人との関わりでは、正解を与えるのではなく、相手自身が新しい物語を紡ぎ出す手助けをすることが重要だと繰り返し示されている。ここから得られる示唆は、仕事や家庭、教育の場など日常生活においても有効である。相手を評価や助言の対象とするのではなく、一人の存在として尊重し、沈黙や共感を通して相手に寄り添う姿勢こそが関係性を深め、同時に相手自身の成長を促す。つまり、「傾聴」は技術にとどまらず、人間観そのものを問い直す営みであることを学ぶことができる。

結論

総じて本書は、「傾聴」の力を言語学的、心理学的、そして哲学的に多角的に提示した意欲的な試みであり、現代社会における人間関係の再生の糸口を示しているといえる。読者にとっての価値は、「聴く」という営みを単なるマナーやスキルとして消費するのではなく、存在の意味を支える根本的行為として再定義させてくれる点にある。弱点として、実践的なノウハウの不足や一部の一般化の粗さはあるものの、それ以上に「相手の存在を支える聴き方」への深い洞察が胸に残る。結果として、本書は専門職のみならず、あらゆる人間関係に悩む読者に対して、「耳を澄ませ、心で聴く」という姿勢の大切さを強く訴える良書である。