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「合理的なのに愚かな戦略」の要約と批評

著者:ルディー和子
出版社:日本実業出版社
出版日:2014年11月01日

「顧客志向」の落とし穴

「顧客第一」「顧客志向」という言葉は、業績回復を狙う企業がよく掲げる方針である。一見、真摯な経営姿勢に思えるが、その効果は必ずしも保証されない。

「顧客第一主義」を最初に提唱したのはピーター・ドラッカーであり、彼は日本の越後屋を近代的マーケティングの先駆けと位置づけた。しかし、顧客の声をただ受け入れるだけでは、変化する顧客心理を捉えられない。

一方で「従業員第一主義」を掲げる企業もある。従業員の幸福を追求し、パフォーマンスを高めることで顧客満足度を上げるという考え方だ。しかし、これは既存製品の改良といった「持続的イノベーション」には有効だが、「破壊的イノベーション」には不向きである。アップルのスティーブ・ジョブズも、マッキントッシュ開発時には顧客の声を聞かなかった。顧客の意見は既存の想像の範囲を超えないため、企業は直感を重視すべきだ。

「プライシング」の落とし穴

2000年代初頭、牛丼チェーンは激しい値下げ競争に突入した。「松屋」と「すき家」が大幅値下げを行い、後に「吉野家」も参戦。結果として慢性的な低価格化に陥った。

「吉野家」はブランドを守る選択肢もあったが、BSE問題による打撃と、過去の倒産経験からのパターン認識、先代の価値観への固執が判断を誤らせた。業界トップでありながらフォロワー戦略に転じ、肉の品質にこだわりつつ価格を下げるという矛盾を抱えてしまった。

値下げは一時的に売上を伸ばすが、競合も追随し、さらなる値下げを招く悪循環に陥る。本来、価格は価値と釣り合うべきであり、安易な値下げは「価値がない」と自ら宣言しているようなものだ。

「ブランド」の落とし穴

「ブランド」と聞くと、欧州の高級車や革製品を連想する人は多いが、日本企業のブランドには課題がある。たとえば「レクサス」は販売チャネルの延長的な存在にとどまり、「資生堂」は企業ブランドは強いが製品ブランドが弱い。

資生堂は系列販売店を活用し流通戦略で勝ってきたが、そのため製品ブランドを育てる文化が根付かなかった。インターネットやコンビニの台頭に対応しきれず、「しがらみ」に縛られ在庫を抱える状況が続いた。

これを打破するには、組織に外部人材を取り入れ風通しを良くし、消費者の購買プロセスに無意識に入り込むブランドを育てる必要がある。ただし、革新的なブランディングは消費者に寄り添うだけでは生まれない。企業自身が製品の最大のファンであることが重要だ。

「コミュニケーション」の落とし穴

英語を公用語とする企業が増えているが、言語が話せるだけで議論や交渉ができるわけではない。日本人は自己主張や交渉を避ける文化で育ち、考えを言語化するのが苦手な傾向がある。

しかし、考えをわかりやすく伝えられなければ、人を動かすことはできない。特に革新的なアイデアを理解してもらうには、「メタファー」や「アナロジー」の活用が重要だ。小泉元総理の「自民党をぶっこわす」のように、一言で感情を揺さぶる表現が求められる。

また、創業の背景や経営戦略を人の物語として語ることも効果的だ。ストーリーは感情に訴え、人々を動かし、イノベーションを生む。

「経営戦略」の落とし穴

「選択と集中」は経営戦略としてよく語られるが、日本ではリストラの婉曲表現として使われることが多い。本来の目的は、事業を適切な規模に保つことだ。

ソニーは創業期には多角化が強みだったが、後に経営が複雑化しリストラを繰り返した。シャープは液晶事業に集中しすぎ、供給過多と撤退の遅れで多額の負債を抱えた。

事業縮小や撤退の決断は、過去の成功体験やしがらみ、プライドなど感情的な要因によって難しくなる。まずは経営者自身が感情の影響に気づくことが重要だ。

「大企業志向」の落とし穴

破壊的イノベーションを起こすには、中核ビジネスを捨てる覚悟が必要だ。世界では大企業がベンチャーを買収し変革を起こそうとしているが、日本は大企業志向が強い。

組織が大きくなるとストレスが増え、意思決定も複雑化する。一方、中小企業は自然な規模でストレスが少なく、地域に根ざした新しい挑戦が活発になっている。

若者が地元志向であることは批判されがちだが、地方発の取り組みが国家課題の解決につながり、地域再生のチャンスとなる可能性がある。

批評

良い点

本書の最大の魅力は、「常識」とされてきた経営のキーワードを疑い、具体的な事例をもとに多角的な視点を提示している点にあります。顧客志向やプライシング、ブランド、コミュニケーションなど、経営における王道の考え方を一度解体し、実際の企業の成功と失敗を交えて再検証していることが新鮮です。特に、顧客の声を聞くことが必ずしもイノベーションを生むわけではないという指摘は、スティーブ・ジョブズの例を用いることで説得力を持たせています。また、吉野家の値下げ競争や資生堂のブランド戦略の停滞など、日本企業のリアルなケーススタディを豊富に紹介しているため、机上の理論に終わらず、読者が自社の経営に置き換えやすいのも強みです。単なる理論書ではなく、現場の意思決定の難しさを浮き彫りにしている点が評価できます。

悪い点

一方で、全体の構成はやや散漫で、テーマが多岐にわたるため焦点がぼやける印象があります。「〜の落とし穴」という共通タイトルで統一しているものの、顧客志向、価格戦略、ブランド、コミュニケーション、経営戦略、大企業志向と幅広く扱う結果、各章の掘り下げが浅く感じられる部分もあります。特に「従業員第一主義」や「中小企業の可能性」については示唆的な指摘があるものの、具体的な成功事例やデータが少なく、説得力に欠ける印象です。また、著者の意見が直感的なアドバイスとして提示される場面があり、論理的な裏付けが薄い箇所が目立ちます。例えば「企業は自分の直感を信じるべき」という主張は魅力的ですが、どのような条件下で直感が有効か、失敗例を交えて分析してほしかったところです。

教訓

本書から得られる最大の教訓は、「常識的な経営手法を無批判に採用することの危うさ」です。顧客志向は顧客満足を高めるうえで不可欠ですが、それが既存の価値観を前提とした「持続的イノベーション」しか生まない可能性があることを認識すべきだと教えてくれます。また、安易な値下げがブランド価値を損ない、長期的な収益性を脅かすことや、過去の成功体験や組織のしがらみが意思決定を曇らせることも重要な警告です。さらに、革新的な製品やサービスを生むためには、顧客の声だけでなく、自社のビジョンや感情、そして物語を伝えるコミュニケーション能力が不可欠であることを学べます。経営戦略においても「選択と集中」というスローガンを表面的に使うのではなく、時代や企業の成長段階に応じた柔軟な判断が必要だという示唆は、特に変化の激しい現代において示唆的です。

結論

総じて本書は、日本企業が陥りがちな「常識への依存」や「過去の成功体験への固執」を鋭く指摘し、変化を恐れず新しい価値を生み出すための思考転換を促す一冊です。決して完璧な経営指南書ではなく、分析の深さやデータの裏付けに課題はありますが、その代わりに実務家が直面する「現場の迷い」や「感情の揺らぎ」をリアルに描き出している点が価値を持っています。特に、イノベーションを志す経営者や、価格競争やブランド戦略に悩むマーケターには大きな気づきを与えるでしょう。常識的な経営手法を鵜呑みにするのではなく、自社の独自性や直感を信じながらも冷静に戦略を選び取る姿勢の重要性を再確認させる一冊です。