著者:クレイトン・M・クリステンセン、ジェームズ・アルワース、カレン・ディロン、櫻井祐子(訳)
出版社:翔泳社
出版日:2012年12月06日
人を真に動機づけるものとは
金銭的な報酬は「インセンティブ理論」によって人を動かす要因とされるが、わずかな報酬や過酷な環境でも努力を惜しまない人は存在する。動機づけ理論によれば、人を真に動かすのは「心からやりたいと思えること」である。
衛生要因と動機づけ要因
報酬や人間関係などは「衛生要因」にすぎず、不満を減らす効果しかない。一方で、やりがい、評価、責任、成長といった「動機づけ要因」が仕事の満足度を左右する。
キャリア選択における落とし穴
多くの人は収入などの衛生要因を基準にキャリアを選び、安定していても満たされない思いを抱く。自分が有意義だと感じられる仕事こそが、幸せを見つける鍵である。
キャリアを見つけるための戦略
キャリア形成には「意図的戦略」と「創発的戦略」の二つがある。意図的戦略は目標に集中して進む方法、創発的戦略は予期せぬ機会を試しながら探る方法である。どちらを選ぶかは状況によって異なる。
若者とキャリア計画の誤解
多くの学生が5年先まで計画すべきだと考えるが、必ずしもそうではない。明確な目標があるなら意図的戦略を選び、そうでなければ創発的戦略で可能性を広げることが重要だ。
戦略を検証する方法
戦略の有効性を知るには、「成功にはどんな仮定が必要か」を明らかにし、重要な仮定を低コストで検証することが有効である。職業選択でも同じアプローチが役立つ。
短期志向の罠
ユニリーバの例のように、短期成果に偏った制度設計は長期的成功を妨げる。個人のキャリアにおいても、短期の成果ばかりに資源を投じると大きな機会を逃してしまう。
人生における資源配分
私たちは時間や能力を「キャリア」「家庭」「子育て」など複数の事業に配分している。短期成果ばかりに資源を注ぐと、家族や友人との関係といった長期的な幸せを損なう。
イケアの事例に学ぶ「用事」志向
イケアの成功は顧客が片づけたい「用事」に基づいたビジネスモデルにある。仕事や家庭でも、自分や相手がどんな用事を片づけたいのか理解することが大きな成果をもたらす。
伴侶との関係における用事の理解
結婚生活の幸せには、伴侶が片づけたい用事を心から理解しようとする姿勢が欠かせない。献身は愛情を深め、関係を豊かにする。
アウトソーシングと能力喪失の危険
企業はアウトソーシングで利益を得る一方、重要な能力を失うリスクがある。能力は「資源」「プロセス」「優先事項」に分けられ、将来に必要な能力は必ず社内に残すべきである。
教育における能力モデルの応用
子どもには資源を与えるだけでなく、試練を通して「プロセス」を養うことが重要である。困難を避ける教育は、成長に必要な力を奪ってしまう。
家庭文化の重要性
企業文化が組織を導くように、家庭文化は子どもの行動を導く。夫婦が優先事項を定め、家庭文化をつくることで、子どもは困難な場面でも賢明な選択をできるようになる。
批評
良い点
本書の最も優れた点は、動機づけ理論をキャリアや人生設計に結びつけて実用的に提示していることである。報酬や環境を「衛生要因」とし、やりがいや成長などを「動機づけ要因」として区別することで、読者は単なる金銭的成功では満足できない理由を直感的に理解できる。また、意図的戦略と創発的戦略という二分法は、キャリア選択を「計画的に突き進む」か「試行錯誤の中から見つける」かという実感に近いフレームで捉えることを可能にする。さらに、ユニリーバやイケアの事例を交えつつ、企業戦略と個人の人生戦略を重ね合わせる点も説得力が高い。企業論・教育論・家族論と幅広く応用できる普遍性を持たせた点も評価できる。
悪い点
一方で本書の難点は、理論と実践の橋渡しがやや抽象的に留まる部分である。特に「仮定を検証せよ」という助言は重要ではあるが、読者が具体的にどのようなステップで自分のキャリア仮定を検証すればよいのか、十分に描き切れていない。また、資源配分の比喩を家庭や子育てに拡張する試みは興味深いが、現実の家庭が抱える多様な事情――例えば経済格差や社会制度――にはほとんど触れられておらず、やや理想論に聞こえる。さらに、イケアの事例などは鮮やかだが、他の章に比べて飛躍が大きく、キャリア理論との接続がやや唐突に感じられる読者もいるだろう。
教訓
本書から得られる最大の教訓は、人生やキャリアにおける「成功」と「幸福」は必ずしも一致しないという点である。給与や肩書きといった衛生要因を追い求めるだけでは心の充実は得られず、むしろ「誰かの役に立つ」「自分が成長している」といった動機づけ要因を育むことが長期的な満足に直結する。また、人生戦略は固定的な設計図ではなく、予期せぬ出来事を取り込みながら修正し続けるものであり、企業が市場変化に対応するのと同じ柔軟性が個人にも必要である。さらに、資源配分の視点からは「短期的な成果に偏らず、長期的に価値を生む活動に投資する」ことの重要性が強調されている。これはキャリアのみならず、家庭や教育にも当てはまる普遍的な教訓である。
結論
総じて本書は、キャリア論・組織論・家庭論を一貫する「動機づけ」の視点で結びつけ、人間の幸福に不可欠な要素を再考させる力をもっている。その論調は理想主義的でありながらも、企業経営や教育現場の具体例によって現実味を担保している。読者にとっては、単に「自分は何をしたいのか」を問うだけでなく、「自分の資源をどのように配分すべきか」「どの仮定を検証すべきか」という実践的な問いを突きつけられるだろう。確かに万能の解答を与えてはくれないが、人生の各段階で繰り返し参照すべき思考の道具を提示してくれる点で、大きな価値をもつ一冊である。