著者:小林佳徳
出版社:宝島社
出版日:2014年08月20日
日常から一変したライブドアショックの幕開け
2006年1月16日、音楽を聴きながら自由なスタイルで働く社員たち。そんな日常に「お前の会社、大丈夫か?」というメールが届く。テレビ画面には「ライブドア 強制捜査」の文字が映し出され、事件の始まりを告げていた。
強制捜査と報道の衝撃
東京地検特捜部がスーツ姿の十数名で乗り込み、PCや携帯の操作を禁止。それでもニュース配信は続き、皮肉にも「ライブドアへ強制捜査」というニュースが自社から流れた。
広告事業への大打撃
事件直後、広告出稿は9割減。大手企業からの案件に喜んだ矢先の急落で、広告営業チームの落胆は大きかった。
ベンチャー気質と過酷な労働環境
「世界一の会社を目指す」と掲げ、寝袋で会議室に泊まり込み開発に没頭。社員3000人規模でありながら、社内ルール整備より現場の熱量が優先され、異常なほどの躁状態が続いていた。
社員の自律性とネットビジネスの価値
社員は「一生勤める」より「手に職」の意識で働き、自律的に業務を継続。世間からは「虚業」と揶揄されても、実際はユーザー支持を得るサービスを作り続けていた。
社会への影響と失われた挑戦意欲
ライブドアショック後、日本社会全体の覇気が失われた。シリコンバレーでは失敗が勲章だが、日本では再挑戦が難しい土壌が残った。
著者の退職と再入社
事件直後、心身の限界から退職を決意。その後ベンチャーを経て、わずか3カ月半でライブドアに戻ることとなる。
入社当時のライブドア文化
平均勤続はわずか5カ月。著者は「ここで何かが起こる」と感じ入社を続行。初仕事は未経験のWebディレクターとして携帯公式サイトを担当し、なんとか成功させた。
堀江貴文氏の人物像
豪放磊落に見えるが、社員にとっては無理難題を突きつける一方、腹黒さはなく、常に努力を惜しまない挑戦者だった。
社名変更と六本木ヒルズ移転
2004年、社名を「エッジ」から「ライブドア」へ変更。知名度重視の合理的判断だったが、著者には違和感があった。
自腹パソコンとプロ意識
ライブドアではPCを自腹購入。「自分の道具は自分で管理」という文化があり、インターネット企業としての自立心が重視されていた。
事件後のライブドアと社員の活躍
事件後も短期間で黒字化。有能な人材はLINEなどで活躍したが、会社自体は果敢さを失っていった。
著者のその後と夢
2度目の退職後、ベンチャーを経て2012年にベネッセに復帰。大企業とベンチャーの良さを兼ね備えた「最強の組織」を作ることを目標に掲げている。
ライブドアDNAとは何か
無茶なスケジュールでも全力で挑み続ける「ライブドア魂」。熱狂的な時代を共にした仲間には、そのDNAが今も刻まれている。
批評
良い点
本書の最大の魅力は、当事者としてライブドアの「熱狂」と「混乱」を肌で体験した著者が、その臨場感を余すところなく描き出している点にある。六本木ヒルズの華やかな舞台裏で、寝袋で徹夜しながら開発に没頭する社員たちの姿や、強制捜査のテレビ速報を見守る社内のざわめきなど、現場ならではの緊張感が鮮やかに再現されている。また、ライブドアが持っていた先進性、インターネットサービスへの情熱、そして堀江貴文氏の挑戦心を真っ直ぐに描くことで、単なる事件記録ではなく、ベンチャー企業に特有の熱気を読者に伝えている。さらに、失敗を恐れず挑む文化と、それを支えた社員の矜持がしっかりと記録されている点は、歴史的な資料価値としても高い。
悪い点
一方で、叙述にはやや美化が混じっている印象を否めない。堀江氏を「腹黒い人ではない」と強調し、ライブドアを「虚業ではない」と弁護する姿勢は理解できるものの、当時の不正疑惑や社会的非難の具体的実態には十分に踏み込まれていない。社員目線からの誇張や擁護が強すぎるあまり、外部からの批判との乖離が生じ、全体像を客観的に把握しにくくしている。また、著者自身の感情の揺れや体験談が重視される分、事件の構造的背景や市場との相互作用といった分析は浅くなっており、批評性よりも回想録的な側面が強い点も弱点と言えるだろう。
教訓
本書から得られる最大の教訓は、日本におけるベンチャー文化の脆弱さと、社会的失敗に対する寛容性の欠如だ。シリコンバレーでは失敗が勲章となる一方、日本では「一度の失敗が致命傷」となる風土が挑戦意欲を削ぎ、ライブドアショック以降、多くの若者の気概を奪ったと著者は指摘する。つまり、ライブドアの失敗は企業単体の問題に留まらず、日本社会の挑戦とリスクに対する構えそのものを映し出す事件だった。また、社内制度を軽視して拡大に突き進んだ結果、組織としての持続可能性を欠いたことは、急成長を遂げるスタートアップに共通する危うさを示している。挑戦と規律、スピードとガバナンス、その両立の難しさこそが現代にも通じる教訓である。
結論
総じて本書は、ライブドアという企業の「熱狂」と「崩壊」を、社員目線からリアルに描き出した記録であり、当時を知る人々にとっては貴重な証言であると同時に、現在のベンチャー文化を考える上での示唆にも富んでいる。美化の余地や客観性の不足は否めないものの、挑戦の価値を肯定し続ける著者の姿勢は、過去を単なる失敗として葬らず、未来への糧とする誠実な意志を感じさせる。ライブドアの「DNA」を受け継ぎ、挑戦することをやめない精神が再び社会に広がるならば、日本のベンチャー文化も次の段階へ進めるのではないか。本書はその希望を思い起こさせる、熱い批評的回想録である。