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「食べる人類誌 火の発見からファーストフードの蔓延まで」の要約と批評

著者:フェリペ・フェルナンデス=アルメスト、小田切勝子(訳)
出版社:早川書房
出版日:2010年06月10日

生きたまま食べる唯一の料理 ― 牡蠣

著者によれば、現代の西洋料理で生きたまま食べるのは牡蠣だけである。牡蠣は「自然な」食べ物に最も近く、調理を加えずに「生のまま」食べる唯一の料理といえる。果物や野菜でさえ長い時間をかけた品種改良の産物であるのに対し、牡蠣は自然淘汰の結果であり、人の手はほとんど加わっていない。

調理が合わない食材 ― 牡蠣の特異性

牡蠣は珍しく、加熱調理によってかえって質を損なう。ベーコンで包んだり、チーズをかけたり、オムレツに入れたりする試みは楽しみとしては良いが、美食の進展には寄与しない。

生食の魅力と文明以前への回帰

生の食べ物が魅力的なのは、文明以前や人類誕生以前の世界に戻るように感じられるからだ。調理は人間特有の習慣の一つだが、発明されたのは比較的最近である。

調理の起源と多様な「加工」

農耕を調理の一形態と見る人もいれば、狩猟社会での獲物の胃内容物の摂取や、マリネ、熟成、腐敗による加工なども火を使う以前から存在していた。調理が特別とされるのは、その社会的効果にある。

調理の社会的意義

焚き火を囲んで食事をすることは、人々に親交の場を与える。調理は単なる食べ物の変化ではなく、集団で食事をすることを中心に社会を組織する方法だった。役割や義務が生まれ、共同体意識が強化された。

食べ物と社会的分化

食べ物は古代から階級を表す要素となった。旧石器時代の墓からも栄養状態と名誉の関連がうかがえる。当初は「量」が基準で、加熱調理は消化を助け、大食を可能にした。

大食と社会的評価

大食は勇気や富の象徴とされ、多くの社会で尊敬を集めた。ローマ皇帝や貴族の大食逸話は有名であり、現代でも一部地域では「吐くまで食べる」宴会や肥満を尊ぶ文化が残っている。

高級な食事の基準 ― 質と多様性

量だけでなく、味や多様性も高級さを示す要素となった。異なる気候や地域の食材が集まることで食卓は豊かになり、その極致は日本の懐石料理に見られる。

産業化と食の変容

19世紀以降の人口増加と都市化で、食は産業化していった。食料生産は機械化され、加工食品が普及し、家庭の食事は均一化された。工業化は清潔さを売りにしたが、味や伝統を損なった。

食事の時間と家庭の変化

産業化は食事の時間にも影響し、家庭の食習慣を崩壊させた。調理済み食品や電子レンジの普及により、家族が一緒に食卓を囲む時間は減り、食事は個別化している。

調理の革命とその終焉の危機

焚き火や鍋を囲んで築かれてきた親密な人間関係は、15万年にわたり社会を支えてきた。しかし現代では、産業化と利便性によって「料理と食事」という最初の大革命が取り消されつつある。

批評

良い点

本書の最大の魅力は、「食」という普遍的な行為を歴史的・文化的な視点から重層的に論じている点である。著者は牡蠣という一見特殊な題材を入口に据えながら、調理の起源、食と社会の結びつき、さらには産業化による変容へと議論を広げている。そのため読者は、日常的で当たり前の行為である「食べること」が、いかに人間社会を形作り、また変えてきたのかを実感できる。特に「焚き火を囲む調理」が社会制度や連帯感を生み出したという洞察は、食の歴史を単なる嗜好や味覚の変遷ではなく、人類史における大革命と位置づけている点で新鮮であり、説得力がある。また、古代ローマの大食家の逸話から現代のファーストフード文化まで、具体的かつ多彩な事例を挟みながら議論が展開されており、読者を飽きさせない構成も評価できる。

悪い点

一方で、著者の論調はやや直線的で、食文化の多様性や複雑さを単純化してしまっている部分がある。例えば、調理の社会的役割を「共同体の形成」と「階級制度の萌芽」に集約する視点は鋭いものの、それ以外の要素――宗教的な意味づけや地域的な儀礼、ジェンダーや権力関係における調理の役割など――には十分な言及がない。また、近代以降の「産業化された食」の描写は批判的で一貫しているが、その一方で大量生産によって飢餓が軽減された歴史的側面や、現代における多様な食文化の再生産という正の側面を軽視している印象を受ける。結果として、食の産業化がもたらした「光と影」のうち、影の部分ばかりが強調されてしまい、ややバランスに欠ける議論になっている。

教訓

本書から得られる教訓は、「食べる」という営みが単なる生理的行為ではなく、人間の社会的・文化的基盤そのものであるということだ。牡蠣を「自然な食べ物」として位置づける試みは、我々が普段どのように「人工的」な食環境に生きているかを逆照射する。さらに、調理や食事のあり方が共同体を形成し、権力や地位を可視化する装置となってきた歴史を振り返ることは、現代における「孤食」や「個別化された食事時間」の問題を理解する手がかりとなる。つまり、食の形態は社会の形態を映し出す鏡であり、そこに敏感であることが、私たちが今後どのような食文化を選び取るのかを考える出発点になるのだ。

結論

総じて本書は、食をめぐる歴史的なダイナミズムを描き出すことで、現代人が失いつつある「食の社会性」への警鐘を鳴らしている。著者が描く「焚き火の周りの親密さ」と「ファーストフードに象徴される孤立」の対比は鮮烈であり、読者に強い印象を残す。もちろん、議論には偏りや限界もあるが、それを差し引いても、食の本質を捉える上で本書が提示する視座は貴重である。批評的に読めば、食文化を取り巻く現代の課題――産業化、効率化、孤食化――を、単なる生活習慣の問題ではなく、人間社会の基盤にかかわる深刻な問題として捉え直す契機を与えてくれる。結局のところ、著者の言うように「食は社会を変える」のであり、我々はその事実を自覚的に受け止めなければならないのだ。