著者:モイセス・ナイム、加藤万里子(訳)
出版社:日経BP
出版日:2015年07月21日
権力とは何か
権力とは、他者の行動を命令したり、阻止したりする能力を指す。状況の構造を変える場合もあれば、人々の意識や評価を操作する場合もある。権力を持つ者は、他人に「させる」ことも「させない」ことも可能になる。
権力と規模の関係
かつて権力は「大きさ」と深く結びついていた。第二次産業革命以降の資本主義社会では、大規模な組織が勝利を収め、中央集権的な体制が権力を長期的に維持するための条件となった。マックス・ウェーバーが説いた「官僚組織」も、権力を管理する有効な仕組みとして機能していた。
大組織の時代からの転換
二度の大戦を経て大規模組織の支配力は強化されたが、近年は「持つ者がより多く持つ」という考え方が古くなりつつある。権力は国家間や小規模な新興勢力の間に分散し、集中型支配は弱まり始めている。
権力の摩耗とリーダーの不安定化
権力は移行しているだけでなく、保持や行使が難しくなっている。CEOの平均在職期間は短縮し、日本でもトップが強制的に辞任させられる事例が増加。メディアの監視や抵抗勢力によって、リーダーは簡単に失脚しやすくなった。
「3つのM」革命とマイクロパワーの台頭
権力を長期的に維持してきた参入障壁は脆くなり、革新的な新興勢力「マイクロパワー」が大組織を脅かしている。彼らは既存の支配者を直接置き換えるのではなく、新しい技術や発想で疲弊させている。
More(豊かさ)革命
人口や識字率、経済生産が増え、中間層が拡大。健康で教育水準の高い人々は、政府の決定に従順ではなくなり、支配が難しくなった。
Mobility(移動)革命
豊かになった人々は移動しやすくなり、移民や都市化、頭脳流出が進む。テクノロジーの発達で情報や価値観も急速に移動し、権力者の統制を困難にしている。
Mentality(意識)革命
豊かさと移動の進展により、新しい価値観を持つ中間層が増えた。権威に対する懐疑と不信感が広がり、従来の支配構造が揺らいでいる。
権力終焉がもたらすメリット
権力に挑戦しやすくなり、人々は自由と選択肢を得た。政治では民主化が進み、経済では新しいビジネスが台頭。競争は消費者に利益をもたらしている。
権力終焉がもたらすリスク
権力の弱体化は、無秩序や社会機能の停滞を招く。蓄積された知識や経験が失われ、社会運動が表面的になる危険もある。短期的な対策や不安に振り回され、長期的な解決が難しくなる可能性がある。
権力衰退による社会の不安定化
権力の衰退は孤独感や社会的断絶を生み出す。専制と無政府状態の中間を維持することが、安定と活力を守る鍵となる。
変化への柔軟な対応が重要
権力の上下関係にこだわる思考をやめ、単純化された扇動に注意する必要がある。政治的・社会的安定を取り戻すには、統治者への信頼を回復し、民主主義の中で適切に権力を委ねる勇気が求められる。
政治の破壊的イノベーションの可能性
政治分野はまだ抜本的な変化を迎えていないが、やがて新たな権力の入手・行使・維持の方法が登場するだろう。変化に柔軟に対応できる思考こそが、権力衰退の時代を生き抜く力となる。
批評
良い点
本書の最大の魅力は、権力の変容を単なる政治的な現象にとどめず、社会構造・経済・テクノロジー・人々の意識の変化までを包括的に分析している点にあります。特に「More(豊かさ)」「Mobility(移動)」「Mentality(意識)」という三つの革命の概念は秀逸で、抽象的になりがちな権力論を生活者レベルの実感に落とし込むことに成功しています。大規模組織が力を失い、新興の「マイクロパワー」が台頭する背景を冷戦の終結やインターネットの普及といった歴史的文脈と結び付けて説明する手腕も見事です。また、権力の終焉が民主主義の拡大や創造的破壊を促すポジティブな側面を示すことで、読者に希望と警戒心を同時に与えるバランス感覚も優れています。
悪い点
一方で、本書にはいくつかの弱点も見受けられます。第一に、権力の衰退を説明する要因が多岐にわたりすぎており、論点が散漫になりやすいことです。「3つのM」革命の説明はわかりやすいものの、その後に続くリスク分析がやや冗長で、同じ懸念が異なる角度から繰り返される印象を受けます。第二に、具体的な事例やデータの提示が限定的で、特に現代の政治的リーダーシップの崩壊や国際社会の機能不全については、もう少し具体的なケーススタディがあると説得力が増したでしょう。また、「権力を回復させるには統治者にもっと力を与えるべきだ」という結論は、理屈として理解できるものの、権力集中が再び専制を招くリスクをどう防ぐかがやや曖昧で、理想論に留まっている印象も否めません。
教訓
本書から学べる最大の教訓は、現代社会では「権力を持っている」ことと「それを行使できる」ことが必ずしも一致しないという事実です。権力はかつてのように中央集権的な大組織に固定されるものではなく、情報化や移動の自由、意識の変化によって容易に分散・摩耗します。したがって、私たちは単に「誰が頂点か」を追うのではなく、権力の実効性やその背後にある社会構造の変化に目を向けるべきです。また、権威への懐疑は健全である一方、過度な不信感や安易なポピュリズムに流される危険性も強調されています。変化の時代には、単純化されたメッセージや扇動的な指導者に引きずられず、複雑な現実を理解する知的体力が必要だという警鐘は極めて重要です。
結論
『権力の終焉』は、現代世界の不安定さを権力の変質という切り口から読み解く優れた試みであり、政治や経済だけでなく、社会のあり方そのものを考える手がかりを提供する書です。特に、民主主義社会において統治者に適度な権限を与える必要性を説く議論は、現代のガバナンスの行き詰まりを理解する上で示唆的です。ただし、その処方箋はまだ抽象的で、実践的な戦略には欠ける部分があります。それでもなお、本書は「権力の中心が消えつつある時代」に生きる私たちに、変化を恐れず、しかし盲目的に楽観せずに、新しい統治と社会参加の形を模索する重要性を教えてくれます。権力を巡る単純な勝者・敗者の物語を超え、複雑化する世界を理解するための一冊といえるでしょう。