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「なぜデータ主義は失敗するのか? 人文科学的思考のすすめ」の要約と批評

著者:クリスチャン・マスビェア、ミゲル・B・ラスムセン、田沢恭子(訳)
出版社:早川書房
出版日:2015年07月20日

デフォルト思考とその限界

従来のビジネスでは、大量のデータを分析し、直線的なアプローチで問題を解決する「デフォルト思考」が主流でした。ブレインストーミングやデザイン思考、ビッグデータ活用といった手法は、経営課題の中でも特に生産性向上において有効なツールでした。

しかし著者は、こうしたデフォルト思考だけでは人の行動に関わる問題を理解・解決するには不十分だと指摘します。なぜならデフォルト思考は、人間を「合理的で予測可能な意思決定者」と仮定しているからです。

人間は合理的ではない — 行動経済学が示す現実

従来は「消費者は自分の好みを理解し、冷静に比較検討して商品を選ぶ」という前提がありました。しかし、行動経済学の研究によると、人間はしばしば不合理で衝動的な行動をとり、自分でも理由を説明できないまま意思決定をしています。
このような不確実性を含む人間の行動を理解するためには、従来のビジネスツールよりも人文科学的なアプローチが有効です。

仮説形成的推論とは何か

従来の問題解決は「仮説主導型」でした。仮説を立て、データを用いて演繹的に正否を検証する手法です。しかしこの方法では、そもそもの問題設定が正しいかどうかを確認できないという限界があります。

そこで有効なのが「仮説形成的推論」です。これは、まず現象を観察し、そこからあり得る仮説を導く推論方法です。
この手法は不確実な洞察に惑わされたり、自分の信念が揺らいだりする難しさがありますが、複雑な問題を扱うためには不可欠なアプローチです。

センスメイキング — 人間理解を深める手法

仮説形成的推論をビジネスに応用した手法が「センスメイキング(意味を見出すこと)」です。
デフォルト思考が見える課題を定量的に明らかにするのに対し、センスメイキングは目に見えない背景や意味を探索します。

  • デフォルト思考:客観的な「属性」に注目(例:男・女という生物学的性別)
  • センスメイキング:体験や文化的な「アスペクト」に注目(例:男らしさ・女らしさ)

両者は対立するものではなく、相互補完的なツールです。たとえば、オペレーションの改善にはデフォルト思考が有効ですが、顧客の行動を理解するにはセンスメイキングが力を発揮します。

センスメイキングの5つのフェーズ — レゴの事例

センスメイキングは、定性的なデータをもとに「なぜ」を探る手法です。ここでは、2004年に巨額赤字から復活を遂げたレゴの事例をもとに、その5段階を紹介します。

フェーズ1:問題を現象としてとらえる

当時のレゴは「子どもはどんなおもちゃを求めているか」をデータで分析し、手早く遊べる刺激的なおもちゃを開発していました。その結果、レゴらしさを失った製品が増え、ブランドの価値が薄れてしまいました。

新CEOのクヌッドストープは、「おもちゃのデザイン変更ではなく、子どもの遊びという現象そのものを理解することが重要」と気づきました。

フェーズ2:データを集める

レゴは実際の家庭を訪問し、親や子どもにインタビューを行い、日常の遊びを観察しました。従来の調査のように研究室に子どもを呼び出すのではなく、生活の文脈の中で自然な行動を捉えることに注力しました。

フェーズ3:パターンを探す

観察から、以下のような共通パターンが見えてきました。

  • 子どもたちは親に管理される一方、自由を求めている
  • 遊びにはスリルやヒエラルキーが存在する。
  • 子どもはスキルを習得し、熟達することで社会的評価を得る

これは、従来の「子どもは手早い満足を求めている」という前提を覆すものでした。

フェーズ4:鍵となる洞察を生み出す

レゴは「時間をかけて熟達を目指す子どもたち」というコアユーザーに注目しました。
そこから「明日の建築家をインスパイアする」という新たなミッションを掲げ、製品や店舗体験を刷新。ブランドの本質を取り戻す転換点となりました。

フェーズ5:事業にインパクトを与える

センスメイキングの成果を事業に活かすには、会社の美学やミッションに沿った判断が重要です。
レゴは「大人への反抗」という洞察を得ながらも、ブランドの方向性と合わないとして採用しませんでした。この判断は、利益よりミッションを優先する姿勢の表れでした。

パースペクティブを持つリーダーの重要性

優れた企業リーダーには、パースペクティブ(将来の見通しや確固たる視点)が不可欠です。
レゴが「明日の建築家をインスパイアする」という信念を掲げたように、成功する企業は組織の方向性を示すビジョン
を持っています。

しかし多くの企業では、幹部が目先の利益や自分のキャリアだけに集中し、業界や社会の中での役割を考えないことが課題です。

パースペクティブを築くには以下が重要です。

  • 自社が関わる現象を理解する
  • 未来を予測し、自社の役割を明確化する
  • 自社の製品やサービスを批判的に見直す

センスメイカーに求められるスキル

デフォルト思考では、リーダーは単なる意思決定者であればよかったのに対し、センスメイキングにはより高い統合力と直観力が求められます。

  • 多様な情報を統合し、大局をとらえる
  • 現象に入り込み、当事者として問題を感じ取る
  • 唯一の正解がない複雑な状況でも判断し、行動する

人文科学の知識だけでは不十分であり、観察や質的調査の結果を実際の行動につなげられるリーダーこそが、組織に大きなインパクトをもたらすのです。

批評

良い点

本書の最大の強みは、ビジネスにおける「デフォルト思考」と「センスメイキング」という二つの問題解決アプローチを対比しながら、その限界と可能性を的確に示している点です。従来型のデータ駆動型分析が持つ合理性と効率性を認めつつも、人間の行動や感情、文化的な文脈といった「数値化しにくい領域」を扱うには不十分であると指摘する姿勢は説得力があります。特に、レゴ社の再生を事例として取り上げた説明は秀逸です。データに基づく短絡的な判断からブランドらしさを失い、経営危機に陥ったレゴが、現場観察と質的データ分析によって「子どもが遊びに求める熟達感と自由」を再発見し、再び独自性を取り戻すプロセスは、読者に強い臨場感を与えます。抽象的な理論に留まらず、具体的な経営判断にどう結びつくかを示している点は実務家にとって大きな価値があります。

悪い点

一方で、本書は理論の紹介に重きを置きすぎている印象があり、実務に応用する際の具体的なフレームワークや手順がやや抽象的です。たとえば「仮説形成的推論」の重要性は強調されていますが、読者が自社の課題にどのように適用すべきか、明確なロードマップは提示されていません。また、センスメイキングの限界やリスクについての議論が弱い点も気になります。質的調査は時間やコストがかかり、洞察が恣意的になりやすいという現実的な問題はほとんど触れられていません。さらに、レゴの事例は成功例として魅力的ですが、成功の背景には偶然や特定の企業文化もあった可能性があり、一般化できるかどうかは慎重に考える必要があります。理論の普遍性を示すためには、異なる業界や失敗事例にも触れてほしかったと感じます。

教訓

本書から得られる重要な教訓は、ビジネスの問題解決において「データと直線的因果」に頼るだけでは、人間の不合理さや文化的背景を理解できないということです。特に顧客体験やブランド価値の再構築を考える際には、観察や質的データを通じて「人が何を感じ、どう行動するか」を解釈する力が不可欠です。デフォルト思考とセンスメイキングは二者択一ではなく、互いを補完する関係にあると著者が強調している点も示唆的です。効率化やコスト削減の局面ではデフォルト思考が有効である一方、イノベーションや顧客理解が必要な局面ではセンスメイキングを導入するべきだという指針は、多くの経営者やマーケターにとって実践的な指標となるでしょう。また、リーダーには単なる意思決定者ではなく、未来を描き、大局的な文脈を読み解く「センスメイカー」としての能力が求められることも、現代の不確実なビジネス環境において重要な示唆です。

結論

総じて本書は、データ偏重型の経営に一石を投じ、「人間を理解する力」を再評価させる良書です。デフォルト思考が優れているのは事実ですが、それに固執することで顧客の本質的な欲求や文化的価値を見失い、ブランドを希薄化させてしまう危険を著者は鋭く指摘しています。特に変化の激しい時代においては、数値化できない要素を恐れずに観察・解釈し、新たな意味を見出す力が競争優位を生むことを、レゴの再生は雄弁に物語っています。理論の実践方法にやや抽象さが残るものの、企業リーダーやマーケターが視野を広げ、データでは捉えきれない「人間の複雑さ」に向き合うための思考転換を促してくれる一冊と言えるでしょう。