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「売る力 心をつかむ仕事術」の要約と批評

著者:鈴木敏文
出版社:文藝春秋
出版日:2013年10月20日

「おいしいもの」は飽きられる

食べ物はおいしくなければ買ってもらえないが、同時に「おいしいもの」は飽きやすい。高級料亭の料理も数日続けば、シンプルなお茶漬けやラーメンのほうが恋しくなる。

金の食パンの成功と次の一手

セブンゴールド「金の食パン」は高級素材と製法を用い、通常のPB商品の2倍の価格にもかかわらず大ヒット。しかし鈴木氏は売上が好調な直後から「次のリニューアル開発を始めよ」と指示した。飽きられる前に次の商品を準備するためである。

空白地帯を狙う戦略

セブンプレミアムは「安さ」ではなく「上質さ」と「手軽さ」を両立させ、競合が手を出していなかった領域を開拓した。結果、どの業態でも売れる商品となり、圧倒的な支持を得た。

「お客様の立場」で考える

鈴木氏の基本姿勢は常に「お客様の立場」で考えること。黒豆の量り売りの成功例や、「赤飯おこわおむすび」に専用設備を導入した事例は、その徹底を物語る。売り手の都合でなく、顧客にとって正しいことを実行する姿勢が重要である。

明日の顧客の心理を読む

「いま」のお客様の声だけでは新しい商品は生まれない。鈴木氏は顧客心理を読み取り、セブン銀行設立を成功させた。素人の目線で不満を探し、生活感覚から仮説を立てることが鍵になる。

お客様のロイヤリティを維持する難しさ

顧客の期待は常に高まり続けるため、ロイヤリティの維持は容易ではない。コンビニのロングセラー商品も毎年少しずつ改良されている。変わらずに「おいしい」と思ってもらうために、自ら変化し続ける必要がある。

非凡化は積み重ねから生まれる

セブン-イレブンが他チェーンより高い平均日販を維持できるのは、一つ一つの「当たり前」を徹底した積み重ねによるもの。赤飯専用設備やパン工場の設立など、顧客にとって自然な姿を追求する努力が、最終的に大きな差となって現れるのだ。

批評

良い点

本書の優れた点は、「顧客の立場で考える」という一見当たり前のことを徹底的に掘り下げ、実際の事例を通して説得力を持たせているところにある。たとえば「金の食パン」の成功とその直後のリニューアル開発への着手は、消費者心理を冷徹に見抜いた先見性を示している。また、黒豆の量り売りや赤飯おこわおむすびの製法変更といった例は、企業の都合を排してでも顧客に「本来あるべき姿」を提供する姿勢を鮮明にしており、読者に強烈な印象を与える。さらに、単なる安さ追求ではなく「上質さと手軽さの両立」という新しい価値をPB商品に与えたことは、日本の小売業における大きなイノベーションの証左とも言えるだろう。

悪い点

一方で、顧客至上主義の徹底が強調されるあまり、現場や従業員への負担、さらには持続可能性に関する視点が欠落している点は弱点だ。たとえば、赤飯のために全国の工場へ新設備を導入するという判断は、顧客満足を第一とする姿勢として評価できる一方で、コスト面や環境負荷の側面を軽視しているとも言える。また、「変化し続けること」こそがリスク回避になるとする論理は、確かに市場競争においては有効だが、組織疲弊や現場の硬直化を招く可能性も孕んでいる。顧客の期待が無限に膨張することを前提に企業努力を強制する姿勢は、やや理想主義的に過ぎる印象を与える。

教訓

本書から導かれる最大の教訓は、「顧客の声をそのまま聞くのではなく、顧客の心理を読むこと」の重要性である。アンケートや調査では浮かび上がらない「明日の顧客」の欲求を想像し、仮説を立て、実行に移すことで新しい市場が開拓される。これはセブン銀行設立の例にも顕著に表れており、既存業界の常識を打破する発想力と実行力の両輪が求められることを示している。また、顧客満足の維持には「変わらずに良い」と思わせるために絶え間ない改善が不可欠であり、変化を恐れず挑戦する姿勢が長期的なロイヤリティ構築につながる、という点も示唆的である。

結論

総じて本書は、セブン&アイを率いた鈴木氏の経営哲学を通じて、現代の小売業が直面する課題と可能性を描き出している。「当たり前」を徹底することで非凡な成果に至るという主張は、小売業に限らずあらゆるビジネスに通じる普遍的な真理を含んでいる。ただし、その徹底が行き過ぎると、従業員の疲弊や社会的コストの増大という新たな問題を生みかねない点も看過できない。したがって、読者は本書を単なる成功物語として読むのではなく、顧客志向を企業経営にどうバランスよく取り入れるかを考える契機とすべきである。その意味で、この書は実務家にも理論家にも大いに示唆を与える良書であると評価できる。