著者:日経トップリーダー編
出版社:日経BP
出版日:2013年06月17日
盛和塾とは
盛和塾は、京セラ名誉会長であり、KDDI最高顧問、日本航空(JAL)名誉会長でもある稲盛和夫氏が1983年に設立した経営塾です。これまで多くの中小企業経営者が学んできました。
特に注目されたのは、巨額の負債を抱えて経営破綻したJALを、わずか2年8か月で再上場に導いた稲盛氏の手腕です。この成功により「稲盛経営」を学びたいという経営者が一層増えています。
リーダーに必要な哲学
稲盛氏は、日本の停滞の原因をリーダーの資質不足にあると指摘します。自身も幼少期から病気や挫折を経験し、それを糧に哲学を築きました。
近年の安定した時代に育った世代の経営者は苦難を経験していないため、確固たる人生観や価値観を持てず、部下を導く力が欠けていると警鐘を鳴らしています。
彼はこう語ります。
「困難を成長の糧とし、誰にも負けない努力をすべき。哲学なき経営者が日本企業の停滞を招いている。」
経営に必要な「強い意志」
もう一つ重要なのは「強い意志」です。景気に左右されて言い訳をするのではなく、社長が率先して努力し、従業員を巻き込む必要があります。
京セラ設立時に掲げた「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という理念は、JAL再建にも生かされました。従業員を幸せにする姿勢が、組織の一体感と再建の原動力になったのです。
しかし、多くの大企業経営者にはその覚悟が欠けていると稲盛氏は嘆きます。
盛和塾での教えと実践
第2章では、盛和塾で学んだ経営者たちが稲盛氏から受けた教えを実際の経営にどう活かしたかが描かれます。
ダックスの大畑憲氏
大畑氏は稲盛氏を心から尊敬し、師の教えを忠実に実行しています。JAL再建における「3つの大義」を掲げた稲盛氏の姿に深い感銘を受け、「神様のような存在」と敬愛しています。
また、従業員との「コンパ(懇談会)」を通じ、信頼関係を築き人材を育てています。
ヒラノ商事の平野義和氏
平野氏は盛和塾で自身の発表を稲盛氏に厳しく叱責されました。しかし、その後の助言をきっかけに意識を改革。「従業員とその家族のために苦労するのが経営者の使命」という教えに涙し、事業を改善しました。やがて京セラで講演するほどの経営者へと成長します。
稲盛氏の経営観と人間性
稲盛氏の功績は「厳格な計数管理」と「深遠な理念の共有」という二大命題を両立させた点にあります。そのカギは経営手法ではなく、経営者自身の人間性にあると説きます。
- 従業員の物心両面の幸福を経営目的にする
- 高い志を掲げ、私利私欲を捨てて努力する
- 日常生活でも節制を守り続ける
JAL会長時代も、自社便を利用し、ホテルの朝食を避けてコンビニ弁当を選ぶなど、克己心を貫きました。この姿勢こそ「経営の神様」と呼ばれるゆえんです。
経営者とは何か
最後に、稲盛氏が愛する思想家・中村天風の言葉を引用します。ここに稲盛氏の経営哲学が凝縮されています。
「新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にあり……さらばひたむきに、只想え、気高く、強く、一筋に」
批評
良い点
本書の大きな魅力は、「経営とは」ではなく「経営者とは」という切り口にある。一般的な経営書が数字や手法を中心に語るのに対し、本書は人間としての在り方や哲学を前面に押し出している。稲盛和夫氏の人生経験に裏打ちされた言葉には重みがあり、単なる理論や成功談ではなく、苦難を乗り越えた人間の実感として響いてくる。また、第2章で盛和塾生の生々しい体験談を取り上げていることも効果的だ。成功だけでなく、失敗や師からの厳しい叱責までも赤裸々に描くことで、読者に強い臨場感と学びを与えている。稲盛氏自身の克己心や「従業員の幸福」を第一義とする姿勢が具体的な事例と結びつけられており、抽象的理念に留まらず実践的な教訓へと落とし込まれている点も評価できる。
悪い点
一方で、本書にはいくつかの限界もある。まず、稲盛氏の思想を絶対視するあまり、異なる価値観や経営アプローチへの批判的検証が欠けている。例えば「強い意志」や「苦難を経た者でなければ本物の哲学を持ち得ない」という主張は力強いが、現代の多様化した経営環境においては必ずしも普遍的ではない。さらに、第2章の門下生の証言は多くが稲盛氏への賛美に傾き、カルト的な熱狂すら感じさせる部分もある。これでは読者が批判的に考える余地を持ちにくく、結果的に「稲盛経営」の一面的な美化につながりかねない。加えて、数字や経営手法そのものへの分析が薄いため、実務的に活用したい読者にとっては物足りなさを覚えるだろう。
教訓
それでもなお、本書が提示する「経営者の人間性こそが企業の命運を握る」というメッセージは重い。経営者が利己心を捨て、従業員の物心両面の幸福を追求することは、短期的な利益追求に陥りがちな現代企業に対する強烈なアンチテーゼとなっている。また、「苦難を養分に変える」「高い志を持ち続ける」という教えは、経営に限らず人生そのものに通じる普遍的な指針である。さらに、従業員と酒を酌み交わしながら理念を共有する「コンパ」の事例は、日本的経営文化の一端を示すものであり、組織の一体感を育む実践的知恵として示唆に富む。厳格な数値管理と深遠な理念共有という二つの大命題を両立させるためには、結局はトップの人間性と覚悟が問われるのだという点は、読者に深く突き刺さる。
結論
総じて本書は、経営の技術論ではなく「経営者の人格論」に徹した異色の経営書であり、その独自性こそが最大の価値である。稲盛氏の克己的な生き方と不屈の精神は、経営者のみならず広く人々に「自らを律することの重要性」を訴えかけている。ただし、その普遍性を強調するあまり、多様な経営スタイルや異なる時代背景への適応力を欠いている点は否めない。したがって、本書は「唯一の正解」として読むのではなく、経営者のあるべき姿を深く考えるための哲学的素材として受け取るべきだろう。稲盛氏が愛した中村天風の言葉にもあるように、経営も人生も結局は「不屈不撓の一心」にかかっている。本書はその真理を強く印象づけるとともに、読者自身が「自分はどのような経営者、どのような人間でありたいか」を自問させる一冊である。