著者:ゲイリー・クライン、奈良潤(訳)
出版社:フォレスト出版
出版日:2015年11月13日
偶然の気づきから生まれる「見えない問題を見抜く力」
著者が集めていた新聞記事に、次のような話があった。
ある警察官が渋滞中に隣の車を見たとき、運転手がタバコの灰を車内に落としているのに気づいた。その瞬間、警察官は「自分の車をわざわざ灰で汚すはずがない。これは盗難車だ」と直感したという。
この警察官は、特別に盗難車を探していたわけではない。それでも、一瞬の閃きによって犯人を見抜いた。この力こそが「見えない問題を見抜く力」だ。
「見えない問題を見抜く力」とは何か
「見えない問題を見抜く力」とは、物事の本質を捉える力、つまり洞察力である。
著者は、個人や組織がパフォーマンスを高めるには、次の2つの努力が必要だと述べている。
- 目に見えるミスを減らすこと
- 見えない問題を見抜く力(洞察力)を高めること
著者自身は、長年「現場主義的意思決定(NDM理論)」を研究してきた。これは実験室での結果ではなく、実際の現場の意思決定を重視する立場だ。
そこで著者は、洞察力がどのように生まれるのか、またそれが阻まれるのはなぜかを探る研究を始めた。
洞察力が生まれるメカニズム
20世紀初頭、ウォーラスという研究者は、洞察力が発揮されるまでの過程を次の4段階に分けた。
- 準備
- 発案
- 閃き
- 確証
しかし著者は、実際の事例を調査した結果、この「準備」や「発案」が必ずしも必要ではないことに気づいた。
特に、出来事同士のつながりを見抜くことで洞察が生まれるケースが多いとわかった。
洞察を導く5つの認識パターン
著者は研究を重ね、洞察を生む認識パターンを次の5つに整理した。
- 出来事のつながりから見抜く
- 出来事の偶然の一致から見抜く
- 好奇心から見抜く
- 出来事の矛盾から見抜く
- やけっぱちな推測による
これらは大きく3つのプロセスに分類できる。
- 新しい心のよりどころを得るプロセス
出来事のつながり・偶然の一致・好奇心から閃く。 - 論理の矛盾に気づくプロセス
出来事の矛盾に注目することで洞察が生まれる。 - 思い込みを捨てて反転するプロセス
絶望的な状況下で、思い込みを捨てた大胆な推測から閃く。
いずれのプロセスにも共通するのは、「既存の考えの根拠が揺さぶられ、新しいストーリーを受け入れる」ことだ。
洞察力を阻む4つの要因
同じ情報を持っていても、洞察力を発揮できる人とできない人がいる。調査の結果、洞察力を妨げる主な要因は次の4つだと判明した。
- 誤った考えに固執する
- 経験不足(知識の量だけでなく、情報を受け取れる心の準備がないこと)
- 消極的な姿勢
- 具体的な考えに囚われた推論
たとえば、誤った考えに固執すると、新しい情報があっても自分の固定観念に反するものを無視してしまう。
また、経験不足は「情報を意味として受け取れる感覚」が欠けている状態を指す。
ITと組織が洞察力を妨げることもある
現代のIT技術や組織の仕組みも、洞察を発揮しにくくする要因になりうる。
- ITシステムの問題
管理システムが全工程を固定してしまうと、新しい目的を発見しても「システムを作り直す手間」を理由に無視されることがある。 - データのフィルタリング
検索エンジンなどが情報を選別することで、閃きに必要な手がかりが除外されてしまう。 - 組織の計画優先主義
組織は計画通り進むことを重視するため、予定を狂わせる新しいアイディアを「例外」として排除しがちだ。
洞察力を発揮するための方法
洞察を日常的に発揮するためには、前述の3つのプロセスに対応した方法を意識するとよい。
1. 出来事のつながりや好奇心を活かす
- チームワークを大切にし、多くの人・出来事に触れる。
- 予期しない出来事の中に意味を見出せるようになる。
スティーブ・ジョブズはオフィスの中央にアトリウムを設け、異なる分野の社員が交流できる場をつくることで、新しいアイディアを生み出そうとした。
2. 矛盾を突くことで他者の洞察を引き出す
相手の考えに潜む矛盾を質問などで明らかにすると、相手は自分の思考を見直し、新しい発想を得ることがある。
組織が洞察力を活かすには
アメリカの産業界では「シックス・シグマ・プログラム」という手法が導入され、製造ミスを徹底的に減らすことに成功した。
しかし、ミス防止に注力しすぎた結果、新しい商品のアイディアを生む力が弱まり、企業の成長が停滞してしまった。
この事例から、「目に見えるミスを減らすだけでは成長できない」ことが分かる。
組織は以下のような取り組みをすべきだ。
- 洞察力のある提案を受け入れやすい環境を整える
- フィルターで除外されたアイディアを再審議する仕組みをつくる
- 新しいアイディアを実現するために変化を受け入れる意志を持つ
まとめ
洞察力は、偶然の出来事や好奇心、矛盾の発見、極限状況の中から生まれる。
一方で、誤った思い込み、経験不足、ITや組織の仕組みはそれを阻む要因となる。
個人も組織も、「目に見えるミスを減らす」だけでなく、「見えない問題を見抜く力」を育てる環境づくりと実践的な姿勢が必要だ。
批評
良い点
本書の最大の魅力は、「洞察力」を抽象的な才能ではなく、具体的に鍛えうるスキルとして捉え直している点にある。冒頭の警察官のエピソードは、些細な違和感を見逃さない観察力が事件解決へとつながった印象的な事例であり、読者を一気に引き込む。著者はNDM(自然主義的意思決定理論)を背景に、机上の空論ではなく現場の意思決定から学ぶという姿勢を貫いており、警察官、科学者、消防士など多様な事例が提示されることで、洞察力が特定の分野だけに限定されない普遍的な力であることを示している。特に、ダーウィンがマルサスの『人口論』をきっかけに進化論に至った過程などは、異分野の知識が結びつく瞬間を鮮やかに描き出しており、知的興奮を誘う。
悪い点
一方で、事例紹介の多さがやや冗長に感じられる箇所もある。著者が発見した「洞察力を導く5つの認識パターン」は興味深いが、それぞれの説明が散漫で、実践的な方法論に落とし込むまでに読者が少し疲れてしまう恐れがある。また、ITシステムや組織文化が洞察を妨げる要因として挙げられる点は示唆に富むが、改善策が抽象的で「結局どうすれば現場で活かせるのか」という実務家の疑問に答えきれていない印象がある。特に企業における提案再審議の「抜け道」構築などは示唆的だが、具体的な実装例や成功事例が乏しく、やや概念論にとどまっている感は否めない。
教訓
本書が読者に伝える最大の教訓は、「見えない問題を見抜く力=洞察力」は、偶然のひらめきではなく、意識的に養うことができるという点だ。洞察が生まれるプロセスを「出来事のつながり」「矛盾」「偶然」「好奇心」「やけっぱちな推測」などに分類することで、自分がどのタイプの思考パターンを取りやすいかを理解できる。さらに、洞察を妨げる4つの要因――誤った思い込みへの固執、経験不足、消極性、具体論への囚われ――を知ることは、自分や組織が陥りやすい思考の罠を回避する助けとなるだろう。IT技術や計画重視の組織文化が創造性を阻害するリスクを指摘する部分は、現代の知識労働者にとって特に重要な警鐘である。
結論
総じて本書は、直感やひらめきの背後にある思考メカニズムを解き明かし、洞察力を高めるためのヒントを豊富な事例とともに提供している。学術的理論と実践的示唆の両方を兼ね備え、特に組織で意思決定に関わる人や、新しいアイデアを模索する個人にとって有益だ。一方で、方法論の抽象性や冗長さが読者をやや置き去りにする可能性はあるため、実務で活用するには自分なりの翻案が必要だろう。それでも、「目に見えるミスを減らすだけでは成長できない」「既存の目的や前提を疑う勇気が洞察を生む」というメッセージは強く心に残る。洞察力を偶然に任せず、自らの思考習慣を見直し鍛えたい人には一読の価値がある。