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「21世紀の貨幣論」の要約と批評

著者:フェリックスマーティン、遠藤真美(訳)
出版社:東洋経済新報社
出版日:2014年09月26日

マネーの起源をめぐる誤解

古代人は物々交換をしていたが効率が悪く、その代替として金や銀がマネーになったという説は広く共有されている。しかし人類学的には、物々交換社会の証拠は見つかっていない。

ヤップ島の巨大硬貨と信用取引

ヤップ島の石貨は単なる交換手段ではなく、債権と債務を管理する信用取引の仕組みだった。マネーはモノではなく社会的な技術だった。

古代メソポタミアと「経済的価値」の不在

文字や会計は発達したが、普遍的な経済的価値の概念は不要とされたため、マネーは発明されなかった。

マネーの三つの構成要素

  1. 経済的価値という普遍的な概念
  2. 価値単位で記録する慣習
  3. 譲渡の分権化

この三要素がそろい、市場という奇跡が誕生した。

マネー社会の到来と影響

硬貨の発明により市場が形成され、価格が活動を指示し、起業家精神やイノベーションが生まれた。社会的地位はお金によって測られるようになった。

マネーと政治の関係

経済的価値の標準は政治によって決まる。マネーが広がると「誰がマネーを支配するのか」という問題が浮上した。

君主権力と銀行の誕生

貨幣鋳造権を乱用した君主に対抗して、私的な信用ネットワークや銀行が誕生した。銀行は信用と流動性を管理し、膨大な富を生んだ。

マネーの反乱と大和解

銀行の力が君主を脅かし、マネーの反乱が起きた。やがてイングランド銀行の設立により、ソブリンマネーとプライベートマネーの融合=「大和解」が実現した。

ロックとスミスの貨幣論

ジョン・ロックは貨幣標準の固定を説き、立憲主義と結び付けた。アダム・スミスはマネー社会を客観的システムとして正当化し、経済と政治の均衡を描いた。

マネー社会の矛盾と債務問題

スミスらの理論とは異なり、マネー社会では債務が膨張し市場が不安定化した。倫理の欠落が深刻な問題を生んだ。

リーマン・ショックと現代金融の危機

2008年の金融危機で、現代経済学は役に立たなかった。マネーが理論に組み込まれていなかったためだ。

銀行システムの歪みと改革の三原則

  1. 納税者・銀行・投資家のリスク配分を是正する
  2. 金融政策の余地を最大限に確保する
  3. 規則を少なくして厳格に運用し、イノベーションを促す

これに基づく改革案がフィッシャーのナローバンキング構想である。

マネーと民主政治の役割

マネーの究極的な目的は安定ではなく、公平さと繁栄の実現にある。そのためには民主政治の正当性が不可欠であり、改革に向けてすべての人が行動を起こす必要がある。

批評

良い点

本書の最大の魅力は、貨幣の歴史を単なる「交換の手段」としての物語に矮小化せず、信用・債務・制度という社会的要素から多角的に描き直している点にある。ヤップ島の巨大貨幣やメソポタミアの会計制度、中世ヨーロッパの銀行の誕生といった具体的事例を縦糸にしながら、マネーがいかに社会の根幹を変革してきたかを緻密に示している。さらに「普遍的な経済的価値」が社会的構築物であり、政治による規定が不可欠であるという視点は、経済を倫理や権力と結びつけて捉える鋭さを持つ。貨幣史を単なる経済学の一分野ではなく、人間社会の技術史として読み解く手法は新鮮であり、読者に知的興奮を与える。

悪い点

一方で、叙述は極めて広範囲に及ぶため、焦点が散漫になる印象も否めない。古代から現代金融危機に至るまでを一気に俯瞰する野心的な構成は魅力的だが、各章の掘り下げがやや不足し、専門的な議論に慣れていない読者には理解が追いつきにくい。また、倫理的観点を重視するあまり、時に道徳的訓戒が先行し、学術的な中立性よりも著者の価値判断が強調されすぎている箇所もある。特に近代以降のマネーと国家の関係については、政治思想史との関連をより厳密に論じる余地があっただろう。

教訓

本書から得られる最も大きな教訓は、「マネーとは物体ではなく社会的な技術である」という認識である。マネーは人と人の間に築かれる信用のネットワークを制度化するものであり、その運用には必ず倫理的・政治的な選択が伴う。市場の自由や価格メカニズムは自然法則のように描かれがちだが、実際には社会が合意し、権力が規定する秩序の産物である。この視点に立つと、現代金融システムの不安定さやリーマン・ショックの教訓もまた、単なる経済学的失敗ではなく、制度設計や政治的責任の問題として理解できる。つまり、貨幣を理解することは、社会の持続可能性と公正を考えることに直結するのだ。

結論

総じて本書は、貨幣をめぐる「常識」を刷新し、その社会的性格と危うさを鋭く描き出した野心的な試みである。古代の石貨から近代銀行制度、そして現代の金融危機までを貫く「信用」という軸は一貫性を持ち、読者にマネー観の再構築を迫る。もっとも、議論の広がりに比して分析の深みがやや不足するため、学問的な専門書というよりは批評的エッセイとして読むのが適切だろう。それでもなお、マネーと社会の関係を問い直す契機を提供する点で意義深い。読者は「誰がマネーを支配するのか」という根源的問いを胸に刻み、自らの生活や政治選択にどう応用すべきかを考える契機を得るに違いない。