著者:野村和宣
出版社:日刊工業新聞社
出版日:2014年07月25日
東京都心に残る歴史的建造物
戦後60年を経た変化の激しい東京都心部でも、歴史を伝える建築は今も残っている。特に明治期以降、千代田区大手町・丸の内・有楽町地区では、街が誕生し更新される中で歴史継承がどのように行われてきたのかが紹介されている。
歴史的建造物の定義と価値
歴史的建造物とは、築50年以上や著名建築家による設計、時代を代表する形態や技術の維持、景観上の重要性などをもつ建物を指す。本書ではさらに広義に捉え、「保存」にとどまらず「歴史を後世に継承すること」を歴史的建造物の意義としている。
歴史的建造物が持つ価値
価値は「歴史を伝える意義」に加え、建築史・技術史・社会史の学術的価値、そして景観財としての価値など多面的に考えられる。
歴史的建造物が抱える課題
一方で、安全性(耐震性・防災性能・材質の劣化)、機能性(現代的ニーズやバリアフリーへの対応不足)、経済性(維持コストや建替えコスト)といった課題が存在する。
歴史継承の具体的な方法
著者は6段階のフローを提示している。①一次調査、②意義の明確化、③課題抽出と対処方法の検討、④事業性の整理、⑤ケーススタディ、⑥方針策定である。史料の収集・分析を通じて価値や課題を整理し、活用用途や経済性を踏まえて最適な継承方法を模索する。
歌舞伎座の事例
銀座歌舞伎座は躯体劣化や耐震不足を背景に建替えられた。第五期の歌舞伎座は、伝統を継承しつつ機能更新を行い、劇場と超高層オフィスタワーを合築する前例のない挑戦がなされた。内部空間の継承では、専門家や関係者の知見を取り入れ、細部にまで工夫が凝らされた。
歴史継承は「創造」でもある
歴史継承は単なる保存ではなく、時代の要請に合わせた創造的行為である。建築物ごとに課題や用途は異なり、最適解を導き出す必要がある。また、建物だけでなく施工技術やモノづくりの精神も継承対象であり、それが人々の心に響く大きな意義を持っている。
批評
良い点
本書の最大の魅力は、歴史的建造物を「保存」の対象にとどめず、「歴史継承」という広義の概念で捉え直した点にある。単に古い建物を保つことではなく、その背後にある思想や社会背景、さらには施工技術までも含めて次代へ伝える姿勢は、従来の文化財論を一歩拡張している。また、著者が提示する六段階の調査・検討フローは、学術的にも実務的にも応用可能な体系であり、実際の建築計画に携わる者にとって有用な指針となる。歌舞伎座の事例紹介においても、単なる技術論ではなく、関わる人々の知恵や感性を設計に取り込んだ経緯が描かれ、継承の現場における「生きた知恵」の重要性を鮮やかに示している。
悪い点
一方で、本書の議論はやや専門的すぎ、一般読者にとっては敷居が高い印象を与える。耐震性や経済性といった課題についての分析は的確だが、建築法規や事業スキームの話が中心となり、読者が「自分ごと」として歴史的建造物の価値を感じ取るまでに時間を要する。また、歌舞伎座の再建における成功例は詳細に取り上げられるが、保存と活用のバランスに失敗した事例や議論の対立点については触れ方が浅く、問題の複雑性をより立体的に描けたはずだ。つまり「理想像」は示されているが、「現実の困難」に対する掘り下げが弱い。
教訓
本書が提示する最大の教訓は、歴史的建造物を継承するとは「凍結」ではなく「創造」であるという認識である。時代が変われば人々の生活様式や安全基準も変わり、建築に求められる役割も変化する。その中で継承されるべきものは何かを見極め、必要に応じて進化させていく柔軟性が不可欠である。さらに、継承の対象は建物そのものだけでなく、施工に宿る技術や作り手の精神までも含まれる。そこに、日本が誇る「モノづくり文化」を次代に伝える大きな意味があることを、読者は深く学ぶことになる。
結論
総じて本書は、東京の都市再開発を背景に、歴史的建造物の継承を「保存」と「進化」の間で模索する姿を説得力をもって描き出している。都市空間における文化の継承が、単なる懐古ではなく未来への創造的営為であることを具体的に示した点は高く評価できる。一方で、実務的視点の強さが一般読者を置き去りにする側面も否めず、もう少し多様な視点から「歴史をどう受け継ぐか」を論じてもよかっただろう。それでもなお、都市や建築に関心をもつ者にとって必読の書であり、現代社会における「歴史の生かし方」を考える上で大きな示唆を与えてくれる。