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「アグリ・ベンチャー 新たな農業をプロデュースする」の要約と批評

著者:境新一(編)、齋藤保男、加藤寛昭、臼井真美、丸幸弘
出版社:中央経済社
出版日:2013年11月27日

アグリ・ベンチャーの重要性

日本の農業は他産業と大きく異なり、気候による生産物のばらつきや土地の制約、小規模経営といった特徴を持つ。そのため資本回転が遅く、投資回収にも時間がかかる。しかし農業は生命維持に不可欠な基盤産業であり、衰退や高齢化、TPP交渉など厳しい状況を踏まえ、イノベーションが求められている。

農産業への転換とアグリ・ベンチャーの定義

境氏は、農業を「農産業」として確立し、ステークホルダー満足と適正利潤を確保する必要性を強調する。本書では「農業を中核とした総合産業の創造」をアグリ・ベンチャーと定義し、食品関連ビジネスと農業資材関連ビジネスという2分野を提示している。

社会的役割と地域性への貢献

アグリ・ベンチャーには、食の安全や安定供給、食育に加え、農村景観の維持、水源涵養、地域文化や地場産業の振興、人材育成といった多面的役割が求められる。地域性と切り離せない農業において、社会的意義を踏まえたビジネス展開が必要となる。

人材像と経営戦略

理論編では、ベンチャー企業に求められる人材や経営戦略についても簡潔に触れている。アグリ・ベンチャーには地域性や生産物の制約があるため、地域内外での連携や他社との協力が不可欠である。

組織間コラボレーションと知識創造理論

齋藤氏は、知識創造理論や組織学習論を基盤に、組織間コラボレーションの進め方を解説している。SECIモデルの4ステップを実現するために、組織の意図の明確化、自立性の強化、情報共有を促す多様性の確保が重要とされる。

公設試験研究機関と大学との連携

地域イノベーションの観点から、公設試験研究機関と大学は重要なパートナーである。しかし、研究から実用化までの過程にはギャップが存在し、それを埋めるためには専門知識を理解し、調整役を担える人材が不可欠である。

実践編の事例紹介

実践編では3人の著者が事例を紹介している。

  • 加藤寛昭氏:農業フランチャイズビジネスの取り組み。茨城白菜栽培組合での「霜降り白菜」ブランド確立を紹介。
  • 臼井真美氏:マーケティング視点から日本農業を分析。「ふじさん牧場」の事例を通じてマーケティングの重要性を強調。
  • 丸幸弘氏:リバネスでの先端科学を活用した事業展開。植物工場や養豚事業、農商工連携人材育成、食育事業など多彩な取り組みを紹介。

批評

良い点

本書の優れた点は、日本農業の特殊性と課題を的確に把握し、その克服に向けて「アグリ・ベンチャー」という新たな視座を提示しているところにある。従来の農業が直面してきた小規模経営、資本回転の遅さ、気候依存といった問題を、単なる弱点ではなく変革の契機として捉え直している点は評価に値する。また、単なる理論にとどまらず、食品関連ビジネスや農業資材開発など具体的な分野を明示し、さらにオイシックスやふじさん牧場、リバネスといった事例を紹介している点は、読者にとってイメージを具体化しやすく、実践の可能性を感じさせる。さらに、知識創造理論や組織学習論といった学術的フレームを援用し、農業と経営学を架橋する点もユニークである。

悪い点

一方で、本書にはやや問題も見受けられる。まず、議論の幅が広いがゆえに、各テーマの掘り下げが浅く、読者にとって消化不良を招きかねない。理論編ではSECIモデルや組織学習論を紹介するが、農業現場にどのように具体的に適用できるのかが十分に検討されていない。また、事例紹介も豊富ではあるが、それぞれの成功の裏にある失敗や課題への言及が薄く、実務に携わる読者が参考にできる「リアルな困難さ」が見えにくい。さらに、農業の社会的役割や地域性への配慮を強調する一方で、グローバル市場やテクノロジーの急速な変化に対する対応策についてはやや楽観的に映る部分もある。

教訓

本書から得られる教訓は、農業を単に「食糧生産の場」として捉えるのではなく、地域資源を総合的に活用し、多様なステークホルダーと連携して「産業」として再構築すべきだという点にある。その際に重要なのは、外部環境との接点を増やし、異なる知を取り込み、組織的に学習していくことだ。農業の制約を前提にしつつも、マーケティングやIT、フランチャイズなど異分野の手法を積極的に導入する姿勢こそが、持続可能な成長を可能にする。また、農業が持つ多面的機能―景観維持、水源涵養、地域文化の継承―を単なる付随的価値として扱うのではなく、ビジネスモデルに組み込む発想も示唆的である。

結論

総じて本書は、日本農業の未来を模索する上で刺激に富んだ一冊である。理論と実践、学術と現場、農業と他産業を架橋しようとする試みは意欲的であり、特に農業経営に挑戦しようとする若い世代や異分野のビジネスパーソンにとっては新しい視点を得るきっかけとなるだろう。ただし、全体に散漫さが残るため、実践の指南書というよりは「問題提起と方向性の提示」にとどまる印象も否めない。したがって、本書を手に取る読者は、そのまま実用化するのではなく、自らの現場や課題に照らして再構成する作業が必要だろう。その意味で本書は、完成された答えではなく、読者自身が思考と実践を深めるための出発点となる批評的テキストである。