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「アップル帝国の正体」の要約と批評

著者:後藤直義、森川潤
出版社:文藝春秋
出版日:2013年07月15日

工場の停止とアップル依存の実態

2013年2月26日、シャープ亀山第1工場では、技術者たちが途方に暮れていた。前年夏からアップル専用工場としてiPhone5の液晶パネルを生産していたが、2012年12月に発注が半減し、この日ついに稼働が止まった。残ったのは毎月100億円近いコストだけだった。

iPhoneを支える日本メーカーの技術

アップルのサプライヤーの5分の1は日本企業だ。ソニーのイメージセンサー、シャープやジャパンディスプレイの液晶、東芝の半導体、村田製作所やTDKなどの電子部品――iPhoneには日本の最先端技術が凝縮されている。

アップル経済圏の光と影

iPhoneの爆発的なヒットは、日本のモノづくりを再び注目させた一方で、取引先はアップルの「計画経済」に従わざるを得ない。生産体制の柔軟性を失い、経営破綻に至る企業も出た。さらに技術はアップル経由でアジアへ流出していった。

日本がiPhoneを作れなかった理由

日本企業は高度な技術を持ちながらも、アップルのような製品を生み出せなかった。理由は巨額投資と大胆な決断の違いにある。iPadのアルミボディ製造のため、台湾・鴻海は何千台もの高価な工作機械を導入したが、日本企業にはその発想がなかった。

アップルのファブレス戦略

アップルは工場を持たず、デザインや規格設計に特化する「ファブレスメーカー」だ。しかし単なる外注ではなく、資金を投じて製造設備を整え、独占供給を受ける仕組みを築いている。これにより最高の技術を安く利用できる。

強さの本質:コストと納期管理

アップルは取引先に厳しい秘密保持契約を結ばせつつ、生産設備や能力を把握する。原価を算出してコスト削減を迫り、納期もリアルタイムで管理するシステムを導入させ、サプライチェーン全体を支配している。

家電量販店との関係

アップル製品は売り場に不可欠だが、卸値は低く利益が出にくい。地方店への供給は渋り、売れ行きが悪ければ即取引停止。安売りも禁止されており、量販店は不利な条件でも取引せざるを得ない。

通信キャリアの苦境

iPhoneの発売情報は直前まで伏せられ、キャリアは混乱する。さらに販売奨励金の仕組みにより、売れば売るほど赤字になる構造で、短期的な利益は得られない。

ソニーが敗れた理由

iPhoneは多機能を統合した端末だが、ソニーは部門ごとに独立し、既存事業を守る姿勢から新製品を統合できなかった。結果としてiPhoneがソニーを葬り去ることとなった。

アップルの収益構造と新たな競争

アップルの利益の大半はハード端末に依存している。しかしアマゾンやグーグルは端末を安価に提供し、サービスで稼ぐモデルを展開。アップルもiPad miniなどで低利益率に直面し、競争の荒波に巻き込まれている。

アップルの「インテリジェンス」と日本の課題

アップルは新技術や潮流を貪欲に吸収し、世界規模のネットワークを構築している。一方で日本メーカーは変化についていけず、凋落した。日本に求められるのは、国境を越えた産業変化の波に飛び込み、再スタートを切ることだ。

批評

良い点

本書の優れた点は、アップルと日本の製造業の関係を「光と闇」の両面から具体的に描き出していることだ。単に「アップルがすごい」「日本企業が衰退した」といった表層的な二項対立ではなく、シャープの亀山工場のケースをはじめ、ソニー、ジャパンディスプレイ、村田製作所など実名を挙げて具体的に論じることで、読者に現場の臨場感と現実の重さを伝えている。特にアップルが単なるブランド企業ではなく、ファブレスでありながら製造工程の隅々まで支配する「インテリジェンス企業」である点を明らかにした描写は、他書にはない鋭さを持っている。さらに、アップル経済圏が日本の先端技術を世界に示す舞台ともなり、国内の「ものづくり」への再評価を促したという光の側面を示した点は、単なる批判に終わらず、公平さを保っている点も評価できる。

悪い点

一方で、本書にはややアップル中心主義に傾いた叙述が目立つ。アップルの強大さを強調するあまり、日本企業側の戦略的失敗や意思決定の甘さが十分に掘り下げられていない。ソニーがカニバリゼーションを恐れてiPhone的製品を生み出せなかった点には触れているものの、なぜ日本企業全体が「常識」を突破できなかったのか、組織文化や経営構造に対する批判が浅い。また、アップルの強引な要求や支配の描写が繰り返されることで、読者に「結局すべてはアップルの力のせいだ」という単純な印象を与えかねない。さらに、文章全体にやや煽情的なトーンが混じり、産業論としての冷静さを欠く場面もあるのが難点である。

教訓

本書から得られる教訓は二つある。第一に、グローバル市場では「常識」に縛られたモノづくりは通用しないということだ。アルミ削り出しの筐体を大量生産するために数千台の高額工作機械を並べる――この「狂気」にも似た決断を下すのは、日本的経営には不可能だった。しかし、それこそが世界を動かす突破口になったのである。第二に、産業の主導権は製造そのものではなく、サプライチェーン全体を管理し、知的ネットワークを築き上げる「インテリジェンス」にあるということだ。アップルは自社で工場を持たない代わりに、情報と資金を駆使して世界中の製造力を自在に動員した。日本企業が凋落した理由は、技術力の不足ではなく、この構造変化を理解し対応できなかったことにある。

結論

総じて本書は、日本の製造業がアップル経済圏の中で光を浴びながらも翻弄され、やがて自らの存在意義を見失っていく過程を活写している。その姿は単なる一企業の失敗にとどまらず、日本経済全体が直面する「構造転換の遅れ」を象徴している。著者が示すように、今後日本が生き残る道は、かつての成功体験を守ることではなく、国境を越えた新しい産業秩序に積極的に飛び込み、自らの役割を再定義することだろう。本書は、その痛烈な現実を突きつけながらも、同時に再生への可能性を探る契機を与えてくれる。批評的視点を持つ読者にとっては、アップルという鏡に映された日本の姿を直視することで、産業の未来を考える貴重な一冊となる。