著者:田中仁
出版社:日経BP
出版日:2014年05月26日
雑貨事業からメガネ業界への転機
地元の信用金庫を退職後、「ジェイアイエヌ」を起業した田中仁氏は、中国製バッグで利益を上げつつ、次のヒット商品を模索していた。そんなとき、韓国で「1本3000円・15分で受け取れるメガネ」と出合い、日本の相場(約3万円)との価格差に衝撃を受けた。
メガネ業界の構造と価格のカラクリ
調べてみると、日本のメガネ業界は多数の中間業者が関わることで高価格が維持され、少ない販売本数でも利益が出せる仕組みだった。田中氏は、製造から販売まで一貫して行えば価格を大幅に下げられるとひらめいた。
韓国メーカーとの交渉と初店舗開業
国内メーカーには相手にされなかったが、韓国メーカーを訪ね歩き、ようやく卸先を確保。2001年4月、福岡で初の「JINS」をオープンし、5000円・8000円のツープライス制を導入。口コミで評判が広まり、1日100本以上売れる人気店となった。
周囲の反対と「金の鉱脈」
金融機関や業界関係者はこぞって否定的だったが、信用金庫時代の先輩税理士から「金の鉱脈かもしれない」との一言を受け、田中氏は確信を深めた。その後、自社デザインによる差別化や広告戦略でブランドを成長させ、2006年に上場を果たした。
上場後の失敗と迷走
上場後、雑貨とメガネを併売する新業態に挑戦するも、お客の視点を欠いたため失敗。品質イメージの低下や競合の台頭により株価は暴落し、買収話まで持ち込まれた。
柳井正氏との出会いと志の再確認
迷走期にファーストリテイリングの柳井会長と出会い、「志のない会社は成長できない」と叱咤される。田中氏は経営陣と合宿を行い、「最低・最適価格で新しい機能とデザインを提供する」というビジョンを定めた。
レンズ追加料金ゼロへの挑戦
「市場最低・最適価格」を実現するため、追加料金を撤廃。大量発注で価格交渉をまとめ、2009年に「4900円からのオールインワンプライス」を打ち出し、JINSはV字回復を遂げた。
大ヒット商品の誕生「Air frame」
次に取り組んだのは軽量で快適な「Air frame」。大胆に7万本発注し、テレビCMにも巨額投資。2009年の発売日には行列ができ、1か月で完売。最終的に累計1000万本を超える大ヒット商品となった。
ブルーライトカット「JINS PC」の成功
産学連携から誕生した「JINS PC」は、眼精疲労の軽減効果も実証され、新規顧客層を獲得。累計350万本を突破する大ヒットとなり、ブランドの地位を確立した。
ECと新しい購入体験への挑戦
2007年にECサイトを開設。当初は赤字続きだったが、「JINS PC」のヒットで売上の14%を占めるまでに成長。その後もドライブスルー店など、新しい購買体験の仕組みづくりに挑戦し続けている。
批評
良い点
本書が描き出す田中仁氏の歩みの中で最も評価すべきは、従来の業界構造を見抜き、そこに潜む「非効率」に果敢に挑んだ点である。韓国での偶然の発見から始まり、メガネ業界における中間マージンの多さを直感的に掴み、それを破壊するビジネスモデルへと昇華させた着眼力は見事である。さらに、交渉力や行動力に裏付けられた製造ルートの開拓や、価格破壊を可能にした販売戦略は、既存の常識を覆す革新性を放っている。事業が順風満帆に見えた後も、柳井正氏の言葉に真摯に耳を傾け、自らの経営観を根底から再構築する謙虚さと柔軟さも、強烈な光を放つ長所である。
悪い点
一方で、物語の中には明らかな失敗や慢心が描かれている。上場後に挑んだ「雑貨とメガネの併売」戦略は、消費者視点の欠如という致命的な誤りを露呈した。これは成長の勢いに乗るあまり、「自分たちの効率」を優先しすぎた典型例であり、ブランド価値や顧客体験を軽視した結果である。また、過剰な自信に裏打ちされた7万本という大胆すぎる発注も、成功したからこそ美談となったが、一歩間違えれば企業を破綻へと追いやる危険な賭けであった。リスク管理や事業の多角化における慎重さの不足は、冷静に批評すべき弱点だろう。
教訓
本書が読者に示す教訓は明快である。第一に、業界の慣習や常識を疑い、その背後に潜む「非合理」を突くことが、革新の種となるという点。第二に、成功の後こそ慢心せず、顧客にとっての本質的価値を見失わないことの重要性である。そして第三に、志やビジョンが欠けた経営は持続不可能であるということだ。田中氏が柳井氏の言葉を受けて「志」という根を意識し始めたとき、単なる価格競争から脱却し、業界における新しい価値創造へと舵を切った姿勢は、ビジネスにおける普遍的な指針として響く。
結論
総じて本書は、地方の一中小企業が偶然の出会いを起点に世界的ブランドへと成長していく壮大な挑戦譚であり、成功と失敗の両面を含めて非常に読み応えがある。特に「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」という田中氏の哲学は、起業家精神の核心を突いている。ただし、その挑戦が常に正解へと結びつくわけではなく、顧客を置き去りにした瞬間には必ず痛烈なしっぺ返しが待っている。したがって本書は、挑戦する勇気と同時に、顧客への共感と志の確立という両輪を持たねばならないことを力強く訴えている。成功物語としての華やかさ以上に、ビジネスの本質を教える教材として高く評価できる一冊である。