感情が世界を理解する鍵となる時代
グローバリゼーションの時代において、複雑な世界を理解するためには感情を無視できない。メディアが増幅する感情は地政学にも影響を与え、世界はかつてないほど感情的になっている。
20世紀と21世紀の特徴
20世紀が「アメリカの世紀」かつ「イデオロギーの世紀」だったとすれば、21世紀は「アジアの世紀」かつ「アイデンティティの世紀」である。かつて社会主義や資本主義などの政治モデルが世界を定義していたが、現代では「アイデンティティ」をめぐる闘争が中心となっている。
感情と社会の安定
恐れ、屈辱、希望といった感情は人間の根源的要素である。過剰な恐れや屈辱、不十分な希望は社会の不安定を生む。感情は社会の自信を映し出し、その自信が危機対応力を左右する。
アジアの台頭 ― 中国とインド
中国とインドは長期にわたり高成長を続け、「シンディア」と呼ばれる二大文明として注目されている。中国は集団主義的体制により安定を求め、インドは精神的伝統を持ちながら格差の課題を抱える。それぞれ異なる文化的基盤を持ちつつも、自信を武器に世界に影響を及ぼしている。
日本の停滞と不安
かつて経済大国として希望に満ちていた日本は、1990年代の危機から立ち直れず、将来に不安を抱えている。西洋化と独自性の間で揺れ動き、恐れが希望に取って代わりつつある。
屈辱の文化とイスラム世界
「希望なき屈辱」は破壊衝動やテロリズムを生む。アラブ・イスラム世界ではスケープゴート探しが広がり、アメリカや西側が糾弾の対象となっている。イランへの複雑な感情や、指導者不在のエジプトなど、再生の可能性は限定的である。
ヨーロッパの不安とアイデンティティの揺らぎ
経済不安と移民問題により、ヨーロッパでは恐れが拡大している。地理的な境界の曖昧さやトルコのEU加盟問題は、イスラムへの不安を象徴している。
アメリカの衰退と再生の可能性
アメリカは社会基盤の崩壊や国力の低下に直面している。しかし革新ではなく、自らの伝統的価値観を回復することで再生できるとされる。
2025年のシナリオ
一つの未来では、中東の治安悪化や中国の台湾侵攻、日本の核保有など、世界は新しい「暗黒時代」に陥る。
もう一つの未来では、中東和平やEU拡大が進み、アメリカやアジア諸国が安定した国際秩序を築く。
希望こそが未来を切り開く
どちらのシナリオも極端で、現実はその中間に収束するかもしれない。しかし重要なのは、悲劇を認識したうえで世界を改善し、希望を持ち続けることである。本書の根本的な信念は「世界には希望が必要だ」というメッセージに集約される。
批評
良い点
本書の最も優れた点は、国際関係や地政学を「感情」という切り口から読み解こうとする独創性にある。従来の学術的分析がイデオロギーや経済構造を重視してきたのに対し、著者は恐れ・屈辱・希望といった人間の根源的感情が、国家や地域の行動にどれほど大きな影響を及ぼしているかを明確に描き出す。中国の恐怖心が国家体制の強権性を支えていること、インドの多様性が自己肯定感や希望につながること、日本の閉鎖性が不安と停滞を生み出すこと、さらにはアラブ・イスラム世界の屈辱がテロリズムや反西洋感情を助長することなど、具体的な事例を豊富に提示しており、読者は感情がもたらす国際政治のダイナミズムを実感できる。さらに未来予測的な要素を取り入れ、複数のシナリオを示すことで、現代世界の不安定さと希望の可能性を同時に提示している点も評価できる。
悪い点
しかし一方で、本書には感情に過度に依拠した単純化の危険も見られる。国家や社会の行動を感情だけで説明しようとする試みは、経済、軍事、技術革新など複合的な要因を過小評価するリスクを孕む。例えば中国の成長や停滞を「恐怖」と「安定志向」だけで論じるのは、実際の経済政策や国際市場の影響を軽視している印象を与える。また、日本について「希望を失った国」と断じる見方はやや一面的で、内政改革や文化的柔軟性に十分な光を当てていない。未来予測の部分においても、2025年の戦争や和平交渉といった大胆な描写は刺激的ではあるものの、根拠が薄いためにフィクション的に映りかねない。全体に、魅力的な視座と鋭い観察眼を持ちながらも、学問的厳密さに欠ける場面が散見されるのは惜しい点である。
教訓
本書から得られる最大の教訓は、「感情を無視した政治・社会分析は不完全である」ということである。恐怖は安全保障政策を歪め、屈辱は暴力と排他主義を生み、希望は社会の再生力と革新性を支える。これらは国際社会だけでなく、企業経営や地域社会、さらには個人の生き方にも通じる普遍的な視点だといえる。例えば、経済危機やパンデミックのような不確実な事態に直面する際、数値や理論に基づく冷静な分析だけでなく、人々の心理的反応を考慮することが政策決定や組織運営に不可欠であるという点は、現代において極めて示唆的である。また、異文化理解や国際協力の場面でも、合理性より感情的共感が重要な役割を果たすことを再確認させてくれる。
結論
総じて本書は、地政学と心理学を架橋する野心的な試みとして高く評価できる一冊である。学問的精緻さを求める読者には不満が残るかもしれないが、国際情勢を「人間の感情」という普遍的尺度で捉え直す視点は新鮮であり、複雑な世界を理解するための有効な補助線を提供している。著者のメッセージは明快だ――世界に必要なのは希望であり、その希望を支えるのは国家や宗教、経済体制ではなく、人々の感情に根ざした自信である。未来を決定づけるのは冷たい数値や理屈ではなく、恐れと屈辱を乗り越え、希望を育む力なのだ。したがって本書は、単なる国際政治論にとどまらず、読者一人ひとりに「自分の感情をいかに社会に活かすか」という問いを投げかける批評的テキストとして読むに値する。