著者:ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン、鬼澤忍(訳)
出版社:早川書房
出版日:2013年06月25日
黒死病と封建制度の崩壊
14世紀半ば、ヨーロッパで猛威を振るった黒死病(腺ペスト)は社会を大きく変えた。当時の封建制度では、王から土地を与えられた封建君主が農民を支配し、農民は重い税や労役を課されていた。しかし、ペストによる労働力不足がこの秩序を揺るがした。
イングランド政府は賃金上昇を防ぐため労働者規制法を制定したが、農民一揆が各地で発生。その結果、封建的な労役は減少し、市場経済が芽生え、西欧では労働者がより自由な立場を得ていった。一方、東欧では地主が労働者支配を強め、農奴制が拡大していった。
名誉革命と産業革命
1688年の名誉革命によってイングランドの王権は制限され、議会が経済制度を主導するようになった。財産権が保障され、特許制度により発明やイノベーションが保護されると、産業革命が進展した。
ワット、トレヴィシック、アークライトなどの発明家たちは、自らの発明を市場で活用できる環境を得て、大きな経済発展を支えた。これは包括的な政治・経済制度が整備されていたからこそ可能だった。
偶然と岐路の重要性
産業革命を生んだ制度的発展は必然ではなかった。もしジェームズ二世が勝利していれば結果は異なっただろう。また、多様な利害関係者が絶対主義に対抗する連合を組んだことも偶然の要素が大きい。
歴史の分岐点における選択や対立が、制度の行方を決定づけるのである。
日本と中国の対照的な歩み
19世紀、日本と中国は同じく封建的かつ閉鎖的な体制にあった。しかしペリー来航を契機に、日本では反徳川勢力が結集し、明治維新という政治革命が起こった。これにより包括的な制度が形成され、急速な経済成長につながった。
一方、中国では皇帝の絶対主義を抑える勢力がなく、収奪的制度が温存され、衰退の道をたどった。
包括的制度の好循環
包括的な制度は自然に生まれるものではなく、支配層とそれに挑戦する勢力の争いの結果として生じる。いったん成立すると、以下の好循環を生む。
- 独裁者の出現を防ぎやすくなる
- 奴隷制や独占を排除し、活力ある経済を育む
- 自由なメディアが発展し、制度への脅威に抵抗できる
収奪的制度の悪循環
一方で、収奪的制度は支配エリートに利益をもたらすため存続しやすい。結果として、国は腐敗や停滞に陥る。
ジンバブエではムガベ大統領が宝くじすら不正に当選するなど、制度の腐敗が顕著だった。経済は崩壊し、失業率は94%に達した。シエラレオネやグアテマラでも、植民地時代から続く支配層が権力を握り続け、貧困と混乱を招いた。
成長を阻む要因
収奪的制度下では持続的成長は困難である。
- イノベーションを伴う創造的破壊が阻まれる
- 権力を巡る争いが絶えず、政治が不安定になる
そのため、収奪的制度下の成長は一時的に終わる。
今日への示唆
著者の理論は次の点を強調している。
- 中国の独裁体制下の成長は続くが、持続的成長にはつながらない
- 独裁体制の成長が民主化につながるとは限らない
- 独裁体制下の成長は短命であり、国際社会が模範とすべきではない
批評
良い点
本書の最大の長所は、歴史を「制度」という視点から体系的に読み解いている点にある。ペストによる人口減少から西欧と東欧の制度的分岐を描き出し、イングランドの名誉革命から産業革命へと至る「包括的制度」の形成を論理的に説明するくだりは説得力に富む。また、日本の明治維新や中国の停滞を対照的に取り上げることで、歴史の偶然性と制度形成の複雑さを浮かび上がらせる。こうした分析は、単なる政治史や経済史の羅列にとどまらず、長期的な繁栄と衰退の条件を示す理論的枠組みとして優れている。さらに、近現代のジンバブエやシエラレオネを例に悪循環を論じることで、現代の読者に直接的な問題意識を喚起する点も魅力である。
悪い点
一方で本書にはいくつかの弱点もある。第一に、歴史の「決定的な岐路」を強調するあまり、偶然性や地域固有の文化的要素が過小評価されている印象を受ける。制度の包括性と収奪性という二分法はわかりやすいが、現実の社会はより曖昧で混合的な要素を含んでおり、その単純化がやや説明力を損なっている。第二に、西欧中心的な視点が残っていることも否めない。産業革命をイングランドの制度的成果に帰する論理は一定の妥当性を持つが、同時代のオランダやフランス、さらにはインド洋や大西洋交易圏の影響を軽視している点は、歴史の多元性を狭めている。最後に、現代中国の将来を一方的に悲観する見方も、複雑な経済構造や政治的柔軟性を考慮すると過度の一般化と感じられる。
教訓
本書から導かれる教訓は明確である。持続的な繁栄は、包括的な政治制度と経済制度の相互作用によってのみ可能となる。つまり、エリートの専制を制約し、多様な利害関係者が参加できる仕組みを整えることが不可欠だということだ。また、歴史の進路は必然ではなく、偶然や争いの結果として分岐していくため、現在を生きる社会においても「どの制度を選び取るか」が未来を決定づける。悪循環を断ち切ることは困難だが、可能であるというメッセージは、腐敗や格差に直面する現代社会に強い示唆を与える。さらに、イノヴェーションを支える財産権や自由な市場の重要性は、今日のグローバル経済にも直結する普遍的な教訓となっている。
結論
総じて本書は、なぜ国家が繁栄するのか、なぜ失敗するのかを、歴史の豊富な事例と理論を用いて解明しようとした意欲的な試みである。その構造はやや二元的で単純化の批判を免れないものの、制度と権力の関係を軸にした歴史理解は多くの読者に新たな視座を与えるだろう。特に「好循環」と「悪循環」の概念は、単なる過去の説明にとどまらず、現代の政策論や国際社会の課題に応用可能な普遍性を持つ。歴史が必然ではなく選択の積み重ねである以上、本書は未来を構想するための知的資源として大きな価値を有している。批評的に読むことで、制度の形成と持続をめぐる議論をさらに豊かに展開できる一冊である。