著者:遠藤敦
出版社:リバネス出版
出版日:2014年02月11日
「うっかりドーピング」とは何か
「うっかりドーピング」とは、意図せず禁止物質を摂取してしまうことで失格になるケースを指す。たとえば、選手を思いやって渡した市販の風邪薬に禁止物質が含まれていた場合も対象となる。特にマネージャーやサポート役は教育を受ける機会が少なく、注意が必要だ。
日本のドーピング陽性率の実情
日本は陽性率の低さをアピールしてきたが、うっかりドーピングによる陽性事例は毎年報告されている。長年の努力が「うっかり」で無効にならないために、正しい知識の定着が不可欠だ。
ドーピングの3つの種類
ドーピングには以下の3種類がある。
- 意図的に行う「ドーピング」
- 意図せず薬から摂取してしまう「うっかりドーピング」
- ライバルを陥れる「パラ・ドーピング」
どれも失格につながる可能性があり、日常的な注意が求められる。
サプリメントに潜む危険
サプリメント由来の陽性事例も多く、特に海外製品は成分表示にない禁止物質が混入している場合がある。サプリメントはあくまで補助食品と捉え、管理栄養士の指導のもとで利用するのが望ましい。
漢方や生薬によるうっかりドーピング
天然物由来の漢方薬や生薬にも禁止物質が含まれる場合がある。たとえば葛根湯に含まれる麻黄がその一例である。成分が産地や収穫時期で変動するため、基本的には使用を避けるのが無難だ。
食事由来の禁止物質
海外産の豚肉などに含まれる「クレンブテロール」により、陽性となる事例もある。日本では稀だが、原産地や生産管理が明確な肉を選ぶことが推奨される。
ドーピングの語源と本質的な問題
「ドーピング」の語源には諸説あるが、共通するのはアルコールなど強い飲料との関わりである。重要なのは、ドーピングが「スポーツ精神に反する行為」であり、競技の価値そのものを損なう点にある。
ドーピング検査の仕組み
禁止物質リストには240種類以上があり、類似の化学構造や効果を持つものも含まれる。明確な線引きではなく柔軟性を持たせることで、抑止力として機能している。
スポーツファーマシストの役割
スポーツファーマシストは、薬の正しい使い方や教育を担う専門薬剤師である。しかし認知度はまだ低く、アスリート側の意識不足も課題となっている。
実際、日本の失格事例の多くは「うっかりドーピング」によるものであり、スポーツファーマシストの介入があれば防げたケースも多い。著者は、もっと気軽にスポーツファーマシストへ相談してほしいと呼びかけている。
批評
良い点
本書の最も大きな長所は、「うっかりドーピング」という言葉を通じて、ドーピングが必ずしも意図的な不正行為ではなく、日常の延長線上で誰にでも起こり得るという事実を鮮やかに描き出している点にある。風邪薬やサプリメント、さらには日常的な食事にさえ危険が潜んでいることを具体例とデータを交えて解説することで、読者に「自分ごと」としての危機感を持たせることに成功している。また、サポート役のマネージャーや栄養士、薬剤師といった選手以外の立場から見たリスクにも光を当てており、スポーツに関わる全員にとっての共通課題として提示している点は評価に値する。特に、スポーツファーマシストという職能の紹介は、一般にはあまり知られていない領域を広く啓蒙する効果を持ち、社会的意義が高い。
悪い点
一方で、本書の構成にはやや散漫な印象も残る。風邪薬からサプリメント、生薬、肉の残留薬物に至るまで事例は多岐にわたるが、その分、焦点がぼやけてしまい、読者がどこに一番注意を払うべきなのかがやや曖昧になる。また、専門的な情報を伝えることに重点を置くあまり、一般読者にとっては理解が難しい部分も散見される。たとえば「禁止物質と類似の化学構造を持つ成分も対象」という抽象的な規定は、確かに制度上の重要な指摘だが、説明が平板で消化しづらい。また、アスリートの認識不足や制度の課題に言及する箇所では、原因分析や解決策が十分に掘り下げられておらず、著者の経験談に留まっている印象を受ける。結果として、現場感は伝わるが読者に強い納得感を与えるにはやや力不足といえる。
教訓
本書から導かれる最も大きな教訓は、「無知は罪になり得る」という点だ。アスリートはもちろん、彼らを支える人々もドーピングに関する最低限の知識を持たなければ、努力の結晶が一瞬で失われる可能性がある。風邪薬を一粒渡す善意ですら選手を失格に追いやることがあるという現実は、スポーツ界に関わるすべての人に教育の必要性を訴えかける。また、サプリメントや食品の安全性に関する信頼が必ずしも保証されていない現状を知ることは、スポーツに限らず消費者としての自己防衛意識を高める契機となるだろう。さらに、スポーツファーマシストの存在がまだ十分に知られていないことは、制度や資格があっても活用されなければ意味を持たないという、社会的な仕組みづくりの難しさをも示している。
結論
総じて本書は、「ドーピング=悪質な不正」という固定観念を揺さぶり、日常に潜むリスクを明らかにした点で価値がある。読者にとっては、単なる知識本ではなく「自分だったらどうするか」を考えさせる実用的な啓発書として機能するだろう。とはいえ、事例の羅列に偏った構成や説明の難解さは、一般層に浸透させるうえでの障壁となり得る。今後もし改訂や続編があるなら、よりシンプルな整理と実践的な対処法の提示が望まれる。しかし本書が提示する「うっかりドーピング」という視点は、スポーツ界のみならず社会全体に共有されるべき重要な問題提起であり、その意義は大きい。1300字前後の分量ながら、本書が投げかけるメッセージは深く、今後のスポーツ倫理を考える出発点となり得る一冊である。