著者:ムハマド・ユヌス、岡田昌治(監修)、千葉敏生(訳)
出版社:早川書房
出版日:2010年12月22日
ソーシャル・ビジネスの提唱
私は大学教授でありながら、バングラデシュの貧困問題に取り組む中で「ソーシャル・ビジネス」という新しい枠組みを提唱してきました。これは資本主義経済の欠陥を補い、社会問題や環境問題を解決する仕組みです。
資本主義理論の欠陥
現代の資本主義は「人間は利益最大化だけを追求する存在」という誤った前提に基づいています。この歪んだ人間像がさまざまな危機を生み出しました。そのため、私たちには二種類のビジネスが必要です。
- 利益を最優先する従来型のビジネス
- 人々の役に立つことを目的とするビジネス(ソーシャル・ビジネス)
ソーシャル・ビジネスの定義と七原則
ソーシャル・ビジネスは利益を追求せず、ビジネスの手法を用いて社会問題を解決する仕組みです。その基本原則は次の七つです。
- 経営目的は社会問題の解決
- 財務的・経済的な持続可能性
- 投資家は投資額のみ回収(配当なし)
- 利益は事業拡大や改善に再投資
- 環境への配慮
- 従業員に公正な待遇
- 楽しんで取り組む
グラミン・ダノンの挑戦
実例のひとつが「グラミン・ダノン」です。子どもの栄養不足を解決するため、安価で栄養価の高いヨーグルトを販売しました。しかし、原材料の価格高騰により事業は困難に直面しました。試行錯誤の末、容量を調整して価格を維持し、持続可能なモデルへと改善することに成功しました。
ソーシャル・ビジネスの起業方法
ソーシャル・ビジネスの起業は、解決すべき問題を見つけることから始まります。壮大な理想よりも身近な課題に焦点を当て、小さな規模で試行することが大切です。例えば、5人の貧しい人々に仕事を提供することからでも始められます。
資金調達と事業計画
最大の課題は資金調達です。投資家に説明するためには、5年間の財務予測やキャッシュフロー計画を立てる必要があります。初期は赤字が続くことを想定し、安定した資金源を確保することが重要です。
人材とやりがい
ソーシャル・ビジネスの従業員は、一般企業と同等の給与を得るべきです。さらに社会問題解決に直接関われるため、仕事に大きなやりがいを感じることができます。
グラミン・クリエイティブ・ラボの取り組み
ドイツにある「グラミン・クリエイティブ・ラボ」は、世界的なソーシャル・ビジネスの推進拠点です。年に一度「ソーシャル・ビジネス・サミット」を開催し、起業家や学者が交流しています。
投資ファンドの必要性
ソーシャル・ビジネスを成長させるためには、専用の投資ファンドの設立が重要です。社会的効果を測定する指標を導入することで、資金の流れを活発化させることができます。
未来への展望
ソーシャル・ビジネスはまだ始まったばかりです。2030年までに「貧困のない世界」「汚染のない環境」「飢餓や予防可能な病気で苦しまない世界」を実現できるよう、私たちは積極的に未来を創り出していくべきです。
批評
良い点
本書の最大の魅力は、既存の資本主義の欠陥を直視し、その上で「ソーシャル・ビジネス」という革新的な枠組みを提示している点にある。従来の利益追求一辺倒の経済観に対し、人間の本質には「他者に貢献する喜び」があると主張するのは、思想的にも倫理的にも大きな挑戦であり、理論と実践の両面から説得力を持つ。また、抽象的な理念にとどまらず、グラミン銀行やグラミン・ダノンといった具体的事例を示し、成功と失敗を交えて実際のビジネス運営の過程を描き出しているため、読者は単なる理論書以上の実感を得ることができる。七原則を明示し、他の慈善事業との差異を強調している点も、ソーシャル・ビジネスの独自性を理解させるうえで効果的である。
悪い点
一方で、本書には理論と現実の乖離が少なからず存在する。例えば、グラミン・ダノンの事例では、価格設定や市場変動に翻弄され、持続可能性の確保が困難であることが浮き彫りになった。これはソーシャル・ビジネスの理想が市場経済の厳しい現実に直面した際の脆弱性を示しており、理念の力強さに比して実行面の難しさが際立つ。また、資金調達や財務計画の重要性を強調するものの、その具体的な克服策は十分に示されていない。ソーシャル・ビジネスを夢見る読者にとっては、理論を支える実務的な手引きがやや不足している印象を受ける。さらに、未来への展望は魅力的である一方、ユートピア的理想に近く、2030年の「願い事リスト」が現実的な道筋を欠いている点も弱さとして挙げられる。
教訓
本書から導かれる重要な教訓は、社会問題の解決には「理想と現実のバランス」が不可欠であるということだ。ソーシャル・ビジネスは従来の資本主義に代わる絶対的な仕組みではなく、むしろ既存の経済の中に新たな選択肢を加える柔軟な補完装置として機能するべきだろう。つまり、利益と社会的価値は二者択一ではなく、両立を目指して試行錯誤する過程にこそ意義がある。また、壮大な理想を掲げつつも、小規模なパイロットモデルから始めることの重要性が繰り返し強調されており、これは読者にとって現実的な行動指針となる。失敗や困難を前提としながらも挑戦し続ける姿勢こそが、社会的企業家に求められる資質だと学ぶことができる。
結論
総じて、本書は資本主義の限界を超えるための力強いビジョンを提示しつつ、その実現には困難が伴うことを示した誠実な記録である。理想主義的な響きを持ちながらも、実際の試行錯誤を赤裸々に描いた点で、単なる空想的論考にとどまらない厚みを持つ。読者にとっては、単に「ソーシャル・ビジネス」という新概念を知るだけでなく、自らの身近な課題に向き合う契機となるだろう。未来は外部から与えられるものではなく、自ら創造していくべきものであるという著者のメッセージは強く心に残る。本書は、社会起業家を志す人々にとって羅針盤の役割を果たすと同時に、現代資本主義の在り方に疑問を抱くすべての人に深い思索を促す一冊である。